障害者の就労について、今年4月から障害者雇用率が2.5%へと引き上げられ、2026年7月からはさらに2.7%へと引き上げられる予定です。そのような状況下で企業にとっては、自社にとって適切な人材を、いかに確保するのかが課題となります。
また、採用後の定着率を上げていくことも大変重要です。
就職を希望する側も、自分に合った環境、職種に就いて長く働き続けていきたいというニーズがあります。
今回は両者をつなぐ就労移行支援事業所の取り組みを含めて、スムーズな就職から定着へと結びついた事例です。
筆者の相談支援専門員の視点での体験の中からお伝えします。
ASDの浅野(仮名)さん
今回の事例となるのは、浅野さん(男性、就職当時33歳)。浅野さんはASD(アスペルガー症候群)と診断されています。一見会社員風な雰囲気がありますが、33歳になるまで就職した経験はありませんでした。
アルバイトを数度したことがあるそうですが、アルバイト先で対人関係がなかなかうまくいきませんでした。どれも長くは続けることができずに、ほとんど自宅で過ごす日々を送っていました。
31歳の時、クリニックのカウンセラーの勧めで、初めて就労移行支援事業所に通いました。
しかし、そこでも対人関係のトラブルが発生し、就労移行支援事業所に不信感を抱いて辞めてしまいました。
その後、半年ほど、自宅で過ごしていましたが、別の発達障害を専門とする就労移行支援事業所に移りました。
そこで様々な作業や講座の受講をし、就労への必要な力をつけていきました。
そこからわずか6か月で企業から内定をもらうことになるのです。
就労移行支援事業所での取り組み
就労移行支援事業所では、その人の得意や長所、苦手の対処方法を、さまざまなプログラムや講座を通して見つけます。
そこから適性を見て、職場でどのような理解や配慮があればうまくいくのかを考えていきます。
さまざまな作業に取り組む中で、自分に合った仕事を探せるようにします。
また、ASDの方の苦手な部分、ビジネスマナーの「暗黙のルール」を言語化して学びます。
そうしてストレスコーピングスキル(ストレスに対応する技術)を身に付けます。
浅野さん自身は数字に強く、数学的な能力が高く、論理的な物事の考え方をします。
また、言葉についてのこだわりがあり、自分の中できちんと理解をしたいという思いがあります。
そのため、コミュニケーションの場面で相手の言葉を理解するために「それはこういうことでしょうか」と確認をすることが多いのです。相手によってはその態度が傲慢に見えることもあり、そこがトラブルの元となることがあります。
たとえば英語を聞いて、一旦頭の中で日本語に置き換える作業をすることがあります。
浅野さんの場合もそれと同じように、浅野さん独自の「ソフト」があって、会話を翻訳する感じのようなのです。
浅野さんの上記の特性を含め、就労移行支援事業所での取り組みを通して、就職するための準備を進めていきました。
就労移行支援事業所と企業の連携
浅野さんが就労移行支援事業所に通い出してから半年後に、自治体主催の障害者のための合同面接会がありました。浅野さんは、早速、仲間とスタッフと一緒に参加をしました。そこで就職先となる企業と巡り合います。
そこは設計をする企業で、数字に強く、緻密な事務作業が得意な浅野さんには適性があり、向いていると思われました。
企業との面接の結果、好感触が得られ、一度企業見学に行くことになりました。
就労移行支援事業所の担当スタッフと一緒に企業見学をし、実際の職場を見て説明を聞いた浅野さんはとても興味を持ちました。
ぜひこちらで働きたいという強い意向です。ここから就労移行支援事業所と企業の連携が始まりました。
まず、初めての障害者雇用をすることになった企業のために、就労移行支援事業所から企業へ出前講座を行うことになりました。
出前講座は「発達障害とは」の内容で、全三回が予定されました。まずは役員向け、次に社員向けに二度行いました。
三度目は「浅野さん自身の特性や対応方法」という内容で、より具体的に障害理解と対処の方法をお伝えしました。
企業側では、浅野さんの実習に備えて、適性があると思われる部署、数か所で仕事の切り出しや職務の創出を行いました。
浅野さんはその数か所で実際に1か月以上にわたり実習に取り組みました。その結果として入社後の配属先が決まったのです。就職するまでの準備期間は内定から6か月に及びました。企業のきめ細やかな理想的とも言える対応は、実に見事でした。
現実的にはここまで準備ができるというのは、実現には難しい面があるかもしれません。
就職後
無事に就職をした浅野さんは設計部門に配属されました。数字を扱い、緻密な作業が必要とされる設計部門において、浅野さんの緻密な仕事ぶりはとても信頼をされ、当初から高い評価を受けていました。
また、慣れるに従い、仕事の幅も徐々に広がっていきました。
仕事の幅が広がるにつれ、浅野さんは担当する職務をより深く知りたいと、周囲に聞くだけではなく、自身でも勉強をするようになりました。就職をしてから1年半が経つ頃には、関連する資格などにも興味が湧き、上司と相談をしながら勉強を始めました。
このように職務において、当初より順調でした。対人関係も出前講座の効果があったためか、周囲の理解もありこれといった問題はなかったそうです。企業では入社後から、電話対応の難しさから浅野さんに対しては、当初は社内連絡はすべてメールにするといった対応をされたとのことです。
また、浅野さん自身の疲れの軽減のために、入社当時は昼食は皆と一緒に取らず、車の中で取ることが認められていたため、気を遣わずに済んだようです。今では他の従業員と一緒に昼食を取っています。
また、浅野さんの緻密さ、言葉の正確性を買われ、現在では社内外を問わず会議に出席をして、議事録の作成をすることも仕事の一部となったそうです。
就労移行支援事業所の取り組みでは、就職後半年間はフォローのため、担当職員による企業訪問や個別の面接、電話相談などで浅野さんの支援を続けました。
その後、就労定着支援事業で2年間上記の企業訪問や面接、電話相談などのフォローを続けて行いました。
まとめ
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- 就労移行支援事業所で、作業プログラムや講座プログラムを通して、就職に必要なスキルを習得し就職準備ができていた
- 面接会後から、就労移行支援事業所は出前講座、企業は仕事の切り出しなど、時間をかけて就職の準備を段階を追って進めていた
- 就職時には職務や環境の調整ができていた
- 定着のためのフォローがきちんとなされていた
この就職によって、浅野さんの人生は大きく変わりました。現在、浅野さんは正社員として働いて5年目となります。
就職までの丁寧な準備や配慮があってこその成果であろうと思います。
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