発達障害は、日本では主にADHD(注意欠陥・多動性障害)、ASD(自閉症スペクトラム)、SLD(学習障害)の3つに分けられます。最近では自ら発達障害を公表する方が増えていますが、日本の有名人・芸能人の中にも、インタビューや著書の中で発達障害を公表している方がいます。
発達障害といっても、その特徴や程度、エピソードはさまざま。今でも苦悩を抱えたままという方もいれば、周囲の支援により上手く乗り越えられたという方もいます。今回は日本の有名人・芸能人の中で発達障害を公表している10名をご紹介します。
【ASD】米津玄師さん(シンガーソングライター)
【出典】米津玄師 公式ブログ
2012年にシンガーソングライターとしてデビューした「米津玄師(よねづけんし)」さん。日本レコード大賞を受賞したFoorin”パプリカ”セルフカバーバージョンや菅田将暉に楽曲提供した「まちがいさがし」のセルフカバーバージョンを含む15曲を収録した5thアルバム「STRAY SHEEP」を発売しました。ライブツアーやCM楽曲の提供、ドラマの主題歌など幅広く音楽活動をされているミュージシャンです。
米津玄師さんのエピソード
高校生の頃に初めてバンドを組み、既にオリジナルの作品で周りを驚かせていた米津玄師さん。しかしバンド仲間に理解されず、バンドは自然消滅。その後も専門学校に通いバンドを続けますが、やはり上手くいかなかったとのこと。高校卒業後は、ボカロプロデュースを手掛け、1人で出来る音楽活動にシフトしていきます。それが功を奏し、知名度をあげていきました。
もともと両親とも不仲が続いており、いつも人とのコミュニケーションに困難を感じていたそうです。20才になった頃、人とは違うことに違和感を感じていた米津玄師さんは病院を訪れ「高機能自閉症」と診断されました。自閉症の辛さからか、二次障害としてうつ病も患っていたことを告白しています。
別に隠しておくようなことでもない気がしてきたので書くけど、自分は鬱を煩っていたことがあって、その間は最低な生活を送ることが多かった。そして今尚たまにあのときの気分を思い出すことがある。時間のながれるスピードが死ぬほど早くなって、気がついたら半袖じゃ暮らせない気候になってたり、近所のスーパーに行く決心をしてから帰ってくるまで1時間くらいかかったり、1日20時間くらい寝てたり。
自閉症は、正確には自閉症スペクトラム(ASD)と言います。かつては、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害などバラバラに呼ばれていたものが1つに集約されたものです。程度の差はあれど、こだわりの強さや好きなことに没頭しすぎる、人とのコミュニケーションが苦手という特徴があります。米津玄師さんはいじめられた経験もあるとのこと。自閉症はこだわりの強さから、時に高い才能を発揮することがあります。米津玄師さんは、まさにその典型といえるでしょう。
【ADHD】Fukaseさん(シンガーソングライター)
【出典】fukaseのブログ
人気バンド「SEKAI NO OWARI」のボーカルFukaseさん。作詞と作曲は自身で手がけており、なんとライヴハウスも自分たちで作るというこだわりっぷり。2010年にインディーズデビューし、翌年2011年にはメジャーデビューしました。オリコンランキングでも上位を獲得し続ける人気アーティストです。2021年には活動10周年を迎え、グッズの販売やCM曲の提供など、精力的に活動し続けています。
Fukaseさんのエピソード
Fukaseさんは、いじめに遭うことはなかったものの、衝動的な特徴が出ていたようです。そのため喧嘩っ早い性格で、周囲の人から恨みを買ってしまうことが多かったそうです。そして集団暴行を受けたことをキッカケに高校を中退し、そのままアメリカに留学しました。その後、パニック障害を発症したと語っています。
閉鎖病棟に入院したことがキッカケでADHDが発覚したそうですが、某音楽雑誌のインタビューでは「小学校の自分がなぜ勉強ができなかったか分かった」とも語っています。ADHDは「注意欠陥多動性障害」と言い、注意力や集中力に欠け、時に衝動的な行動を取ってしまう発達障害です。小さい子どもは総じて注意力も集中力も未熟ですが、年齢の発達に伴って落ち着いていきます。ADHDの場合、成長するにつれ、年齢に見合わない注意力や集中力のなさが目立ってきます。
ASDと同じように得意なことには高い集中力を発揮し、何時間でも続けられるエネルギーがあります。故に精神障害を併発してしまうこともあり、Fukaseさんが閉鎖病棟に入院するほどの障害を抱えていたこも納得できます。Fukaseさんは、自身のTwitterでADHDに関する考え方について投稿することもあります。
なので基本的に自分がADHDの話をする時は何かが出来る、所謂長所として、特技として自己PRとして話す事を当時は心掛けていました。もちろん、難しい事ですし、ひけらかすことに違和感を感じる方もいます。でもそのさじ加減は誰にでもある人間関係の範疇だとも思います。
— Fukase(SEKAINOOWARI) (@fromsekaowa) April 14, 2020
【ADHD】栗原類さん(ファッションモデル)
ファッションモデルと俳優という2つの顔を持つ栗原類さん。イギリス人と日本人のハーフであり、ネガティブ発言など独特なキャラクターが注目されて一躍知名度上げました。パリコレの出演を始めとして、バラエティ番組やドラマ、CMなど様々なメディアで活躍されています。
栗原類さんのエピソード
8歳の時に発達障害であることが発覚した栗原類さん。ニューヨークの病院で発達障害と診断され、なんと同席したお母様もADHDと言われたとのこと。そんな栗原類さんは発達障害者であることをテレビで告白。著書も出版し、ADHDでも前向きに生きられた理由を述べています。
記憶が苦手で「類君だけ自分の名前が書けない」と学校の先生に言われ、母親である栗原泉さんが「でも英語で名前を書けるのは類だけです」と返したエピソードは有名です。コミュニケーションの困難や忘れっぽい症状に悩まされたと語っていますが、お母様の柔軟な考え方が今の栗原類さんを育てたと言っても過言ではありません。
また栗原類さんは、忘れっぽい症状ゆえに嫌な思い出も忘れてしまえることがストレス軽減に役立っていると語っています。発達障害がある場合、記憶力が良すぎて嫌な記憶も忘れられないタイプの人もいて、個人差が大きいところです。
【ADHD】武田双雲さん(書道家)
熊本県出身の武田双雲さん。大学を卒業後はNTT東日本の営業マンとして働いていました。同僚の名前を代筆して「初めて自分の名前を好きになれた」と感動されたことがきっかけで、翌日に退職したとのこと。その後はストリート書道家として活動しながら、スーパーコンピューター「京」のロゴや映画やアニメグッズの題字なども手掛け、幅広く活躍しています。
武田双雲さんのエピソード
2016年、武田双雲さんは自身のブログでADHDの可能性があると告白。子供の頃から忘れ物が多く、思いついたら即行動という特性があったとテレビのインタビューで語っています。また、自身の少年時代について、ブログではこんなエピソードもありました。
・椅子を作る授業で自分だけ椅子を作れなかった
・裁縫が全くできない
・おにぎりも箸もちゃんと握れない
・黒板の文字がゲシュタルト崩壊する
・授業が次の科目に移ってることがわからなかった
・周りが就職活動してる意味がわからなかった
そんな武田双雲さん。両親は何ら注意したり怒ったりすることはなく、むしろ「天才だ!」と褒めてもらえたことで自尊心が育ったと語っています。
【SLD】ミッツ・マングローブさん(タレント)
アナウンサーの徳光和夫さんの甥っ子ということでも知られているミッツ・マングローブさん。タレントを始めとして、ナレーターや女装家という肩書きでも活躍しています。慶應義塾大学を卒業後はイギリスに留学し、帰国後はバーのママとして働いていました。テレビでは、バラエティ番組への出演や、俳優やコメンテーターとしてドラマやニュースに出演するなど、活躍しています。
ミッツ・マングローブさんのエピソード
ミッツ・マングローブさんは、2016年の週刊誌のインタビューで「学習障害」であると自ら告白しました。インタビューは出演するミュージカルに関するものですが、学習障害の症状として「活字の暗記ができない」と語っています。教科書の覚え方についても「字ではなく音と絵で暗記する」と語っており、「人物の顔に落書きをして覚えた」とのこと。
高学歴タレントとしても有名なミッツ・マングローブさん。自分なりの学習障害との付き合い方を心得ているからこそ、勉強に関するコンプレックスを抱えることのない、今のミッツ・マングローブさんがあるといえるでしょう。ハリウッドを代表する俳優のなかにも、「台本が読めない」「セリフが覚えられない」という人がいます。自分なりの解決法や対策を知ることで、活躍の場を見つけられたのかもしれません。
【ADHD】小島慶子さん(タレント)
【出典】小島慶子 オフィシャルサイト
元TBSアナウンサーで、現在はタレント・エッセイストとして活躍中の小島慶子さん。小島さんはオーストラリアで生まれ、幼少の頃はシンガポールや香港など、海外を転々としています。大学卒業後、TBSにアナウンサーとして入社。身長が172cmと高身長であったことから、同じく高身長の小倉弘子アナとともに「TBSのツインタワー」と呼ばれ注目を浴びました。
その後、結婚・出産を経てTBSを退社しています。キャストプラスやオスカープロモーションなど事務所を転々とし、現在は個人事務所を設立し、株式会社ビッグベンと業務委託契約を締結して活動しています。
小島慶子さんのエピソード
小島さんは、連載中の『日経DUAL』内の手記において、自身がADHDと診断されたことを公表しました。幼少のころから落ち着きがなくじっとしていられず、先生が説明中なのに割って入り話の腰を折るなど、周囲を困らせることが多々あったようです。発達障害からくる生きづらさのため、不安障害や摂食障害などの二次障害も抱えていたようです。
ADHDの特徴の1つに衝動性があります。思ったことを時と場面を考えずに発言してしまい、周囲と軋轢を生むケースが多いです。また、小島さんのように、発達障害からくる二次障害を抱える人もいます。小島さんは「ずっと抱いてきた生きづらさの要因が障害だったと知ってホッした」と語っています。傾向を知り、対策を取れるようになったことで、現在は自分を客観視できるようになったそうです。
【ADHD】勝間和代さん(経済評論家)
【出典】勝間和代 オフィシャルサイト
現在、経済評論家として活躍中の勝間和代さん。当時最年少である19歳という年齢で会計士補の資格を取得するほど、明晰な頭脳を持つ方です。大学在学中から監査法人で勤務を開始し、マッキンゼーなど外資系コンサル会社を経て、独立します。ウォールストリートジャーナルの「世界の最も注目すべき女性50人」にも選出された経験を持ち、世界的にも注目を浴びる女性です。
勝間和代さんのエピソード
2018年9月、勝間さんはNHKの「あさいち」に出演し、自身がADHDであることを公表し話題になりました。会計士事務所での勤務時代、細かいことがとても苦手である性格から「自分は会計士には向いていない」と悟ります。しかし、そこで諦める勝間さんではありませんでした。物事を広く考えることは得意な自覚があり、コンサルティングの部署に移動させてもらっています。コンサルティングなら持ち前のアイディア力が活かせると考えたためです。
残念ながら、不況でコンサルティングの部署はなくなってしまいました。しかし、金融・経済と業界を変えながらコンサルティングの仕事を続け、成功しています。障害を特性として捉え、得意なことに目を向けて自分の能力を活かせる場を見つけられたことが、良い結果をもたらしています。
【ADHD/SLD】黒柳徹子さん(タレント)
【出典】黒柳徹子 公式ホームページ トットちゃん | PROFILE(プロフィール)
長年、テレビ朝日「徹子の部屋」の司会をつとめる黒柳徹子さん。司会や女優など、テレビタレントの先駆けとして、長年、第一線で活躍しています。自身の幼少時代を元にした自伝小説「窓ぎわのトットちゃん」の著者としても有名です。
黒柳さんはユニセフの親善大使としても精力的に活動しており、海外の子どもたちのための活動や障害を持つ子どもたちのための活動もしています。ユニセフ親善大使、文化功労者など、数々の賞を受賞している他、パンダ好きとしても知られ、日本パンダ保護協会の名誉会長も勤めています。
黒柳徹子さんのエピソード
黒柳徹子さんは、著書『小さいときから考えて きたこと』で自身が発達障害であることを告白しています。ADHDに加え、読字障害や計算障害などのSLDの症状もあるそうです。
小学一年生の当時から、多動や落ち着きのなさが目立っていました。授業中に窓の外の通行人に話しかけたり立ち歩いたり、机のふたを気が済むまで開け閉めするなどの行動のため、問題児として小学校を退学になるという経験をしています。転校した学校が個性を尊重する校風だったため、黒柳さんの行動も受け入れられ、のびのびと成長することができたようです。
その後、オペラ歌手を夢見て音楽大学を卒業した黒柳さんは、卒業後は別の人生を歩みます。「絵本の読み聞かせを教えてもらって、素敵な母親になろう」とNHK放送劇団に入り、テレビタレントとしての才能を開花させました。障害の特徴を尊重し、のびのびと成長できる環境があったことが、黒柳さんの個性を伸ばすことに繋がったのではないでしょうか。
【ADHD/ASD/SLD】沖田×華さん(漫画家)
【出典】沖田×華(おきたばっか) (@xoxookita) | Twitter
漫画家として数々の作品を執筆している沖田×華さん。「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」という実体験を元にした医療漫画でデビューしました。この作品は、NHKでドラマ化されています。「毎日やらかしてます。アスペルガーで、漫画家で」、「ガキのためいき」、「ニトロちゃん:みんなと違う、発達障害の私」など、自身の発達障害を題材にした漫画もたくさん描いています。漫画の執筆のほか、インタビューなどでメディアに登場することもあります。
沖田×華さんのエピソード
沖田×華さんは、小学4年生で学習障害(ディスレクシア)、ADHD(不注意・視覚優位型)、中学生でASD(アスペルガー症候群)と診断され、さらに聴覚情報処理障害(APD)を持っている事も公表しています。小学生時代には、簡単な読み書きができない、忘れ物が多いなどの発達障害の特徴から、いじめや体罰も受けていたそうです。二次障害として、場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)や過眠症を発症してしまい、大人になった今でも完治していないとのこと。
診断された当時は発達障害を受け入れられなかったようですが、大人になってSNSを通じて自覚した沖田さん。自身の著書やインタビューで発達障害を公言しています。そんな沖田さんは、看護師や風俗嬢などを転々としたのち、漫画家の桜井トシフミさんにファンレターを送った事がきっかけで漫画家を目指し始めます。そして26歳の時にデビュー後、数々の作品で発達障害を扱っています。
自分の好きな分野を見つけ、自分らしく生きられる場所を見つけられたことが、沖田×華さんの人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。障害について「漫画」という手に取りやすいメディアで扱っていくことの意義は大きく、発達障害に対する理解や、障害受容の大きなきっかけになっていくでしょう。
【ADHD】市川拓司さん(作家)
【出典】Red Circle | Takuji Ichikawa
日本を代表する小説家の1人として活躍する市川拓司さん。代表作である「今、会いにゆきます」が大ヒットし、映画化もされました。出版社、アルバイト、税理士事務所など、いくつかの職種を経験している市川さんですが、税理士事務所での勤務のかたわら、奥さんのために小説を執筆し、インターネット上で作品を発表していました。当初はミステリー作家を目指していた市川さんでしたが、今ではホラーやサスペンス、SF・ファンタジーなど、さまざまな要素を盛り込んだ作品を執筆しています。
市川拓司さんのエピソード
市川拓司さんは、NHK「みんなの健康法」で自身の発達障害について詳しく語っています。子ども時代はとにかく落ち着きのなかった市川さん。ひたすら走り回り、教室では机と机の間をほふく前進して回って友達にちょっかいを出していました。落ち着きのなさは、ADHD(注意欠如・多動性障害)から来ているのでしょう。中学生時代には、記憶が苦手なために学力が低下した一方で、豊かな想像力から原稿用紙20枚分の物語を書き上げて評価されるなど、優れた才能を開花させることがあるのも発達障害の特徴の一つです。
小説だけでなく、精緻な立体模型やカラクリなどを作るなど、手先の器用さも際立っています。また「頭の中に浮かぶ世界を自分の手で再現するのが得意」だとNHKの番組でも語っています。設計図などは書けないものの、頭の中ではからくりを動かすことができ、効率的に作業できるのだそうです。
小説の書き方についても、市川さん独特の手法があります。物語のエンディングが映像として浮かび、映画を撮影するようにカメラアングルや音楽を決め、主人公になりきって小説を書き上げるのだそうです。自分の得意分野を見つけ、それを活かせる場所で働くことで生きる力に繋げていった市川さん。自分の良さをのびのび発信できる環境が才能を開花させるきっかけとなったのかも知れません。
執筆者プロフィール
フリーライター、元特別支援学校講師。
大学卒業後、講師として特別支援学校に10年以上勤務の後、フリーライターとなる。現在は教育、障害者(児)関連、ドライブ・旅行関連、フィットネス、書評など、ジャンルを問わず多岐に渡って執筆活動を行っている。