【難民支援の先駆け】日本生まれの国際NGO|AAR Japan[難民を助ける会]古川 千晶さん

【難民支援の先駆け】日本生まれの国際NGO|AAR Japan[難民を助ける会]古川 千晶さん

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1979年インドシナ難民支援を目的として日本で発足されたAAR Japan[難民を助ける会]さんは、65以上の国や地域で支援を展開、現在は世界17カ国で活動しています。日本生まれの国際NGOであり、難民支援の先駆けとして、紛争・災害あるいは障がいによって社会的に脆弱な立場に置かれた人々、追い詰められた人々に支援を届けています。

今回は、AAR Japan事務局長/専務理事 古川 千晶さんに、難民問題の現状や、国際NGOとしての人道支援に関するお話をたっぷりと伺いました。

この記事は約8分で読めます。

 

AAR Japanさんの活動内容について教えてください

AAR Japanは、難民支援、地雷・不発弾対策、障がい者支援、災害支援、感染症/水・衛生、提言/国際理解教育の6つの分野で活動しています。

ただ、例えば“難民支援”の分野ひとつをとっても、ニーズに基づいて支援内容が決まるので、教育をすることだったりシェルターを作ったり、井戸を掘るかもしれませんし、学校を建てるかもしれない。と、活動は多岐にわたっています。

さらには6つの分野を横断するように、“緊急人道支援”をしています。地震などの災害発生時や、紛争などが勃発した直後に支援物資を届ける活動などがあげられます。さらに、長引く紛争や戦争、飢餓、干ばつなどで、その土地にいれなくなってしまう方々へ、緊急時だけでなくその後の生活に寄り添う中長期的な支援を行います。

 

表彰歴

  • 1997年:AAR Japanがメンバーの「地雷禁止国際キャンペーン」がノーベル平和賞を受賞
  • 1998年:国連経済社会理事会(ECOSOC)の特殊協議資格を取得
  • 1999年:読売新聞国際協力賞を受賞
  • 2008年:沖縄平和賞を受賞

 

どのような仲間、スタッフの方がいらっしゃるのでしょうか?

東京のオフィスで約60名、世界全体で約150名(駐在員、現地職員)のスタッフが活動しています。

一般企業から国際協力の現場にキャリアチェンジした人や、元医療関係者、元メディア関係者など様々なキャリアの人が働いています。日本国籍ではない職員も海外駐在員として2名働いています。

 

共通しているのは、社会課題に対して何かしらの形で取り組みたいという想いが強い方が多いことですね。

また、40年近く前に支援の対象だった方(12歳で難民として日本に逃げてこられた方)が、現在常任理事として関わっています。

AAR Japanオフィスにお邪魔してのインタビュー

世界の難民問題の現状について

昨年末時点で、

全世界で1億840万人、74人に1人が難民と言われています。

(※2022年末時点 引用:国連UNHCR協会「数字で知る難民・国内避難民の事実」

 

この中には国内の避難民(国外には出ず、国内で避難している人々)も含まれています。

難民の中には国籍すらない方や、第三国に定住した方、さらには難民として生まれた後一度も故郷に帰ることができずにいる方もたくさんいます。

そして、生活のほとんどを支援に頼るしかない現状があります。

 

難民問題について、一般にあまり知られていない事実や誤解などはありますか?

“難民”と言えば“難民キャンプ”、テントでの暮らしであり、綺麗な水や教育にアクセスできない。これが一般的な認識かもしれませんが、例えば隣国シリアから逃れてきた難民を受け入れているトルコでは、テントに比べると立派なシェルター(プレハブ)に住んでいる難民がいたり、避難先の近くには学校があったりと、基本的なインフラが整っているケースもあります。

 

また近年ではアーバンレフュジー(Urban refugee)と言って、都市難民と呼ばれる人々が増えています。

先ほどのトルコ(シリア難民)やウクライナ難民に多く、逃げた先で集団生活をするのではなく、都市の中に流れ込んでそこで生活している方々です。一見すると普通のアパートに住んでいるんですが、実は難民です。

難民の受け入れ先の環境によって全然違いますが、実はお隣に住んでいる方が難民かもしれない、といった現状があるんです。

 

そのようにアパートで暮らしているような難民を、支援団体が見つけるのは難しく、支援を必要としている人とつながることができないといった問題がでてきます。

 

難民問題について語る古川さん

また、難民が難民ではなくなるまで、10年、20年とかかることが通例です。

避難先の国で新しい国籍を取るか、第三国で定住する、もしくは故郷に帰るなど解決方法はあります。けれども、そもそも紛争が終わらずに故郷に帰れないなど、難民をとりまく状況が変化するのは10年くらいのスパンになります。ひとつの国や民族だけで数百万人規模になることもある難民問題が解決するには、非常に長い時間、そして多くの困難が伴います。

 

特にミャンマーからバングラデシュに逃げているロヒンギャ難民の方々はもはや国籍がありません。

身分を証明するIDカードがない、パスポートもない、だから自由に移動もできずに用意された難民キャンプに居続けるしかない。仮にミャンマーに帰ったとしても安全が保障されていません。

 

どのようなキッカケでAAR Japanさんでお仕事されているのでしょうか

私が小学生の頃、湾岸戦争がありました。

暗い空をキラキラ光るロケット弾がたくさん飛んでいるのをTV越しに見ていました。平和や戦争に対する興味はその頃からありました。できれば将来は、平和に関わる道に進みたいと漠然と考えていました。

 

高校生のとき、アメリカに留学した際、平和学という分野があることを初めて知りました。

それから、大学を卒業し人材コンサルの一般企業に勤めた後、社会課題の解決に関わることへの想いを捨てきれず、イギリスの大学院に進学し開発学(国際開発や人道的活動に関する学問分野)を勉強しました。

留学中に発生したハイチ大地震(2010年にハイチ共和国で起こったマグニチュード7.0の大地震)の被災者支援のために、友達と寄付を集めるボランティア活動もしていました。留学先のイギリスからAAR Japanのハイチ駐在員募集のホームページを見つけ応募し、入職することができました。

 

ハイチ(2010~2012当時)駐在員として活動する古川さんと制服をもらったばかりの子どもたち

 

活動をされる上での安全管理について

海外での活動現場では、命の危険を感じるような場面はありました。10年以上前の話ですが、当時の日本のNGOの安全管理のレベルが低かったんですね。活動中に銃弾が飛んできたことや、空爆に巻き込まれそうになったスタッフがいたという話も聞いたことがあります。

 

本当はスタッフの安全管理は一番大事なことなのに、お金がかけられていなかった。支援活動が優先されていたと感じています。その後、日本のNGO全体で安全管理に取り組まなければいけないとなり、この10年で徹底的に見直されました。AAR Japanでは新たに研修や安全基準を設けるとともに、各事務所の安全対策マニュアル作成などに注力しました。

 

しかし、国や環境によって現場の条件は全く異なるため、グローバルスタンダード(世界中どこでも適用される基準や規格)は作れません。だからこそ、支援現場で発生しうるリスクや脅威をまず徹底的に分析します。

 

支援活動が安全上の理由から困難であると判断されれば、まずは活動範囲や規模を縮小する。最終的には撤退という判断もあります。

 

オフィスには撤去された地雷や爆弾が並んでる

 

活動をされる中で特に印象に残っているエピソードはありますか?

今から10年以上前、アフガニスタンで地雷被害にあった男の子がいました。

ある日、男の子を抱っこしていたおじいちゃんが地雷を踏みました。男の子は当時3歳。その事故で突然両足が失くなってしまいました。

 

彼が小学校の年齢にあたる頃「学校に行きたい」と言っていたんですが、自分で移動ができない。両親も働いていて学校に送っていくことができません。だから現地NGOを通じて義足を支援しました。義足を履いて学校に行けるように。

 

今現在、日本のNGOは、安全上の理由からアフガニスタンへの渡航をすることができません。ただ、2014年までは、出張することはできていました。2012年頃、私は数年ぶりに彼に会いに行きました。そうしたら写真で見ていた姿よりもとても背が伸びていて、「学校が大好き」と話してくれました。

しかも『自転車に乗れるようになりたい!お兄ちゃんが乗ってるから!』と言うんです。

それは足がないことを嘆いた切実な想いでは決してなく、ごく普通の子どもとして楽しそうに話していました。

彼は「足がないからできない」ではなくて、足がないことを受け入れた上でできること、やりたいことを考えている。男の子の言葉を聞いて、義足を支援しただけでこんなにも未来が広がるんだ、と感じました。

 

活動をやっててよかったと思った瞬間の一つです。

義足の少年と古川さん

 

どのような支援活動に寄付が必要でしょうか?

直近では、大地震が起きたアフガニスタンで(2023年10月7日、アフガニスタン西部へラート州でマグニチュード6.3の地震が発生)、支援活動を開始しています。

 

また、アフガニスタンでは実権を握っているタリバン政権が国際社会に認められていないため、海外からの援助資金が枯渇しています。人口の約7割が人道支援を必要としている状況の中で今回の地震が起こったため、人々はさらに追い詰められています。これから氷点下にもなる厳しい冬が来るので、食料や毛布など支援のニーズが増えます。緊急時の後もできる限り支援を続けるためには、一度きりではなく継続的なご寄付がとても大切です。

 

2013年アフガニスタンにて、地雷回避教育のノートを配布 日本ではとても考えられない光景

 

支援者さんからはどのようなメッセージがあるのでしょうか?

わずかでも自分にできる金額で支援を続けたいと思い、AARのマンスリーサポーターになりました。ニュースレターや現地にいる日本人スタッフからの報告で、私の寄付が支援を必要としている方々の役に立っていると実感できます。

何かできたら、という軽い気持ちからマンスリーサポーターを始めました。自分が寄付したお金が難民や被災者に届いているのを実感できています。AARは、現地の人々が自立できるように長期的な支援も行っているので、私も継続して支援したいと思っています。

といったお声をいただいています。

 

マンスリーサポーターの方には、限定の交流会や、支援活動の報告会なども開催しているので、ご興味ある方はぜひご参加ください。

 

AAR Japanさんの今後の目標はありますか?

日本発のNGOとして実績も増えてきたので、国際NGOの一つとして位置付けられたいです。世界からより認知されることが目標です。

 

私たちは“ローカライゼーション” = “支援の中心にいるのはローカルの人”とよく言っています。支援が終わった後も持続的な生活を続けてもらうために、支援をローカライズ(現地化、現地の人たちが主導)していきましょうという意味です。

一方でAAR Japanとしてはグローバルに、日本の団体としてのいいところを残しつつ、世界標準の規模や、より専門性の高い団体になっていきたいと思います。

 

読者にメッセージをお願いします

世界のさまざまな問題を自分ごととして捉えてもらえてもらいたいと思います。

 

支援活動をしている国とは時差があるので、私は自分のスマホの中に各国の時計を表示しています。

例えばハイチとは時差が13時間あります。私が家で夕ご飯を食べる頃、駐在していたときに訪れた孤児院では朝になっていて、決して綺麗とは言えない水で顔を洗っている頃です。朝ご飯と言えるかもわからないものを子どもたちはとりあえず食べる。各国の時刻を見ながら、現地では今どんな生活が送られているのだろうかと思い浮かべます。

 

問題を知ること、想像すること、そこに尽きます。

 

それから、国や国連の支援から漏れてしまう人々がどうしても出てしまいます。支援側が大きい組織であるほど、大きなニーズのある支援に偏ります。だから私たちAAR Japanは、大きな支援から抜け落ちてしまった方々へ、小さくても一人ひとりにとっては欠かせない支援を届け続けていきたいと思っています。

支援の必要性を力強く語る

古川 千晶

特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)

事務局長、専務理事

 

団体概要

組織名

特定非営利活動法人 難民を助ける会(AAR Japan)

所在地

東京事務局(本部)
〒141-0021 東京都品川区上大崎2-12-2 ミズホビル7F
TEL:03-5423-4511/FAX:03-5423-4450

 

佐賀事務所(国際理解教育事業)
〒840-0826 佐賀県佐賀市白山1-4-28 佐賀白山ビル303号室
TEL:0952-37-5380

創立 

1979年11月24日
(2003年に国税庁より「認定NPO法人」に認定。制度変更に伴い2014年に東京都より認定)

 

文:高崎

撮影:大藤

制作・著作:DO DASH JAPAN株式会社

当メディアに掲載/取材をご希望の団体さまは自薦多選問わず以下フォームよりお問い合わせください。

お問い合わせ:https://www.dodash.co.jp/

 

編集後記

社会のあり方を急激に変化させたコロナウイルスのインパクトをよそに、世界では今もなお現在進行形で紛争や戦争、そしてその影響により取り残された人々がいます。

 

いつだって地球のどこかでは誰かが争っていて、血が流されている。正義や思想の名の元に意図せず追い詰められ、追い出され、帰れなくなってしまった人々の中には、助けを求めることすら難しい環境にいることがあります。誰かが彼らを見つけ出し、声を聞き、手を差し伸べなくてはいけません。

そんな当たり前のようでどこか非現実的な物語が、古川さんのお話の中で強烈にリアルに、心臓に突き刺さるような現実として私は理解することができました。

 

“世界のさまざまな問題を自分ごととして捉える”ために、まず知ること。

直接彼らを助けにいくことは難しいけど、寄付でなら参加できる。そうして少しだけ社会が良い方向へ向かうことを考える。

 

もしかしたら、次は自分たちの番かもしれないのだから。

 

執筆者プロフィール

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