
「おいしいから買う」と「応援したいから買う」のあいだに
2026年5月19日、農林水産省はひとつの規格改正案をひっそりと公表しました。「障害者が生産行程に携わった食品及び観賞用の植物に関する日本農林規格(JAS規格)」の一部改正です。
この規格、正式名称だけ見ると堅い制度の話に聞こえます。でも、これは全国約1万4,000カ所の就労継続支援事業所で働く人たちの「つくったもの」が、市場でどう評価されるかに直結する話です。パン、クッキー、ジャム、ドレッシング——福祉事業所の製品を手に取ったことがある人は少なくないでしょう。その製品に貼られるラベルの「意味」が、いま変わろうとしています。
同日には「そしゃく配慮食品」のJAS規格確認案も公表されました。噛む力や飲み込む力に配慮した食品に、共通の物差しを設けようという動きです。二つの規格案は別々の文脈で出てきたものですが、並べて読むと「食品の価値とは何か」という問いが浮かび上がります。
ノフク(NOFUKU)マークを知っていますか
まず整理しておきたいのは、障害者が関わる食品のJAS規格はまったくの新設ではないということです。2019年に制定された「ノフク(NOFUKU)JAS」がその原型で、農福連携——農業と福祉の連携——を推進する国の政策の一環として生まれました。農林水産省と厚生労働省が共同で進めてきた「農福連携等推進ビジョン」に基づき、障害者が生産工程の一定割合以上に携わった食品や植物に、専用のJASマークを付与できる仕組みです。
では今回の「一部改正案」は何を変えようとしているのか。公表された資料によれば、対象品目の拡大や認証要件の見直しが含まれています。制度を使いやすくし、より多くの事業所が認証を取得できるようにする狙いがあると読めます。
ここで立ち止まって考えたいのは、この規格が「品質」をどう定義しているかです。通常のJAS規格は、成分や製法、衛生基準など「モノそのもの」の品質を保証します。一方、ノフクJASは「誰がどのように関わったか」というプロセスを認証する仕組みです。つまり、食品の味や安全性とは別の軸——製造過程に障害者が参画しているという事実——に公的なお墨付きを与えるものなのです。
月額1万6,507円という現実
この規格の意味を理解するには、福祉的就労の現場の数字を知る必要があります。
厚生労働省が毎年公表する工賃実績によれば、就労継続支援B型事業所の平均月額工賃は約1万6,507円(2023年度実績)です。時給に換算すると約233円。一方、就労継続支援A型事業所は雇用契約を結ぶため最低賃金が適用され、平均月額は約8万3,551円ですが、短時間勤務が多いため一般就労の給与水準とは大きな開きがあります。
B型事業所で働く約30万人の人たちにとって、月1万6,507円は「お小遣い」と呼ばれることすらあります。しかし、この金額は単なる対価ではありません。毎朝決まった時間に起き、通所し、仲間と一緒にものをつくる。その日常のリズムと社会とのつながりが、工賃という数字の裏側にあります。
だからこそ、工賃を「もう少し上げられないか」という問いは切実です。厚労省は「工賃向上計画」を掲げ、各都道府県に目標設定を求めてきました。しかし、上昇ペースは緩やかで、10年前と比べても数千円の伸びにとどまっています。
JAS規格は工賃を上げられるのか

ノフクJASの改正は、この構造に一石を投じる可能性を持っています。ただし、規格があるだけでは何も変わりません。大切なのは「認証を取った製品が、実際に売れるかどうか」です。
現状、ノフクJASの認証を取得している事業所はまだ限られています。認証には審査コストがかかり、小規模な事業所にとってはハードルが高い。また、認証を取っても販路が広がらなければ、コストだけが増えることになります。
一方で、明るい兆しもあります。近年、企業のCSR調達やSDGs関連の取り組みとして、福祉事業所の製品を社内販売したり、ギフトカタログに採用したりする動きが広がっています。官公庁の優先調達推進法(障害者優先調達推進法、2013年施行)に基づく調達実績も年々増加し、2023年度は約217億円に達しました。
JAS規格という「公的な物差し」があることで、調達担当者が製品を選びやすくなる効果は期待できます。「障害者が関わっている」という情報だけでは判断しにくかったものが、JASマークによって可視化される。これは、善意だけに頼らない仕組みづくりの一歩です。
「手作り感」という言葉の危うさ
ここで一つ、記事を書きながら気になったことを正直に書きます。福祉事業所の製品を語るとき、「手作り感」「温もり」「心がこもっている」といった言葉がよく使われます。もちろん、丁寧に手作りされた製品に価値があるのは間違いありません。
しかし、その言葉が「障害者が作ったものだから温かい」という文脈で使われるとき、そこには微妙なずれが生じます。それは裏を返せば「プロの品質でなくても、障害者が作ったのだから許される」という無意識の前提を含んでいないでしょうか。
当事者の声を聞くと、「同情で買ってほしいわけじゃない」「おいしいから選んでほしい」という思いが繰り返し語られます。JAS規格の本来の意義は、まさにここにあるはずです。「誰が作ったか」をラベルに載せるのは、同情を誘うためではなく、製造プロセスの透明性を担保し、消費者が自分の価値観に基づいて選択できるようにするためです。
フェアトレード認証が「かわいそうだから買う」ではなく「公正な取引を支持するから買う」という消費行動を育ててきたように、ノフクJASも「応援消費」から「価値選択」へと消費者の意識を変えていく可能性を秘めています。
そしゃく配慮食品——もうひとつの「見えにくい市場」
同日に公表された「そしゃく配慮食品」のJAS規格確認案にも触れておきます。これは、噛む力や飲み込む力が低下した人——主に高齢者ですが、障害のある人や術後の患者も含まれます——が安全に食べられるよう、食品の硬さや形状に基準を設けるものです。
日本介護食品協議会の「ユニバーサルデザインフード(UDF)」の出荷額は年間約230億円規模(2024年実績)とされ、高齢化の進行に伴い市場は拡大傾向にあります。しかし、これまで公的なJAS規格としての位置づけが弱く、メーカーごとに表示基準がばらばらだったため、消費者や介護現場が製品を比較しにくいという課題がありました。
JAS規格として整備されれば、品質の「共通言語」ができます。介護施設の調理担当者が食材を選ぶとき、家族が在宅介護で使う食品を探すとき、JASマークが判断基準になる。これは地味ですが、毎日の食卓に直結する変化です。
そして、この市場と福祉的就労が交差する可能性にも注目したい。そしゃく配慮食品の製造は、丁寧な下処理や手作業による成形など、機械化しにくい工程を含みます。こうした工程に障害者が携わることで、福祉事業所の新たな事業領域が生まれるかもしれません。ただし、それは「障害者に向いている仕事だから」ではなく、「適切な支援と環境があれば、質の高い製品を安定的に供給できるから」という文脈でなければなりません。
規格の先にある問い
最後に、この二つの規格案が問いかけていることを整理します。
一つ目は、「誰が作ったか」は品質の一部になりうるか、という問いです。従来の品質概念は「モノ」に閉じていました。しかし、環境配慮やフェアトレードが市場に定着したように、製造プロセスの社会的側面を品質の一要素として認める流れは、もはや不可逆です。ノフクJASはその日本版の実験と言えます。
二つ目は、規格は「誰のため」にあるのか、という問いです。事業所のため、消費者のため、それとも働く当事者のため。答えは「すべて」ですが、優先順位を間違えると制度は形骸化します。当事者が「この規格があってよかった」と感じられるかどうか——つまり、認証が工賃の向上や働きがいの実感につながるかどうかが、制度の真価を測る物差しになるでしょう。
三つ目は、「買う」という行為が持つ力をどう育てるか、という問いです。消費者の一人ひとりが、棚に並んだ商品の背景を想像し、自分の価値観で選ぶ。その積み重ねが、月額1万6,507円の風景を少しずつ変えていく。規格はそのための道具にすぎません。
JAS規格の改正案は、パブリックコメントを経て正式に決定されます。締め切りまでに、ぜひ一度、近くの福祉事業所の製品を手に取ってみてください。おいしければ、また買えばいい。それが一番まっとうな「応援」のかたちだと、私は思っています。
参照元(出典)
- 障害者が生産行程に携わった食品及び観賞用の植物の日本農林規格の一部改正案についての意見・情報の募集について(public-comment.e-gov.go.jp)
- ハートネット | NHK(heart-net.nhk.or.jp)
- そしゃく配慮食品の日本農林規格の確認案についての意見・情報の募集について(public-comment.e-gov.go.jp)
執筆者プロフィール

主に福祉関連を中心に活動するライター
制度の枠組みから心の機微までを丁寧に言語化する傍ら、暮らしを彩るモノ・コトへの感性も鋭い。専門性の高い記事から、軽やかなエッセイ、実用的なレビューまで、多角的な視点で「日常の価値」を編み直す。