「もしものとき、あなたの望む暮らしを誰が知っていますか?」
この問いに即座に答えられる人は、どれほどいるだろうか。厚生労働省が新たに開設した「人生会議」ポータルサイトは、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)──つまり、将来の医療やケアについて自分の希望を前もって話し合っておくプロセス──を広く市民に届けようとする取り組みだ。しかし、このサイトを最も必要としているはずの障害のある人たちにとって、「話し合いましょう」という呼びかけの手前に、大きな壁がある。話し合える相手がいない。話し合う言葉を持てない。そもそも「あなたの意思」を聞かれた経験がない。ポータルサイトの開設を歓迎しつつ、その先にある構造的な課題を考えたい。
ACPとは何か──「延命治療の話」ではない
ACPと聞くと、多くの人は終末期医療の意思表示を思い浮かべる。しかし本来のACPは、もっと広い概念だ。「自分はどんな暮らしを大切にしたいか」「体調が変わったとき、どこで誰と過ごしたいか」「判断が難しくなったとき、誰に代わりに考えてほしいか」──こうした問いを、元気なうちから信頼できる人と繰り返し話し合うプロセス全体を指す。
厚労省は2018年に「人生会議」という愛称を定め、毎年11月30日を「人生会議の日」として啓発を続けてきた。今回のポータルサイト開設は、情報を一元化し、一般市民から医療・介護の専門職まで幅広い層がACPの考え方や進め方にアクセスできるようにする狙いがある。サイトには、話し合いのきっかけとなるワークシートや動画コンテンツ、地域の相談窓口へのリンクなどが掲載される予定だ。
しかし、ここで立ち止まって考えたい。このサイトは「誰」を想定しているのだろうか。
障害のある人のACPが進まない三つの壁
厚労省の「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」(2023年公表)によれば、ACPという言葉を「知っている」と答えた国民は全体の約6%にとどまる。障害のある人に限定した全国規模の調査は存在しないが、複数の研究や現場の報告から、障害のある人のACP実施率はさらに低いと推定されている。その背景には、少なくとも三つの構造的な壁がある。
第一の壁:「話し合える相手がいない」孤立の問題
内閣官房の孤独・孤立対策に関する実態調査(2024年)では、「孤独感がある」と回答した人の割合は全体の約40%に上った。障害のある人に限れば、この割合はさらに高くなる傾向が指摘されている。特に、家族との関係が希薄な単身の障害者、入所施設で長年暮らしてきた人、精神障害があり社会的なつながりが限られている人にとって、「信頼できる人と話し合う」というACPの前提そのものが成り立たない。
生活保護を受給している障害者の場合、この孤立はさらに深刻だ。生活保護受給者は全国で約202万人(2024年時点)、そのうち障害者加算を受けている人は約27万人とされる。月々の生活扶助基準額は単身世帯で約7万〜8万円程度(地域により異なる)であり、経済的な余裕のなさが外出や交流の機会を奪い、孤立を深めるという悪循環がある。「人生会議をしましょう」と言われても、会議の相手がいないのだ。
第二の壁:意思決定支援の体制が追いついていない
知的障害や重度の身体障害がある人の場合、本人の意思を丁寧に汲み取るための「意思決定支援」が不可欠になる。国は2022年に「障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン」を改訂し、本人の意思を中心に据えた支援の重要性を打ち出した。しかし、現場では支援者の人手不足や研修機会の不足により、ガイドラインが十分に実践されているとは言い難い。
障害福祉サービスに従事する職員の離職率は依然として高く、常勤職員の平均勤続年数は約7年(令和4年度障害福祉サービス等経営実態調査)。支援者が頻繁に入れ替わる環境では、本人の「これまでの暮らし」や「大切にしてきたこと」を知る人が蓄積されにくい。ACPは一度きりの話し合いではなく、繰り返しの対話が本質だが、対話の相手が数年で変わってしまう現実がある。
第三の壁:「あなたの意思は?」と聞かれた経験がない
これが最も根深い壁かもしれない。長年にわたって「あなたのために」と周囲が決めてきた環境で育った障害のある人にとって、「あなたはどうしたいですか」という問い自体が、初めての経験であることがある。施設入所の時期、日中活動の内容、食事のメニュー──日常の小さな選択を自分でしてこなかった人に、突然「人生の最終段階の希望は?」と問うのは、あまりに唐突だ。
ACPの土台は、日常の中で「自分で選ぶ」経験を積み重ねることにある。今日の昼ごはんを選ぶこと、週末の過ごし方を自分で決めること。そうした小さな意思決定の積み重ねがあって初めて、「もしものとき」の大きな意思決定に向き合える。ポータルサイトの情報がどれほど充実しても、この日常の土台がなければ、ACPは「書類を埋める作業」に矮小化されてしまう。
ポータルサイトに求められる「もう一歩」

今回のポータルサイト開設を、単なる情報発信に終わらせないために、いくつかの視点を提案したい。
①「話し合える相手づくり」への導線
サイト上に情報を掲載するだけでなく、地域の相談支援専門員、ピアサポーター、権利擁護の窓口(日常生活自立支援事業や成年後見制度の中核機関など)への具体的な導線を設けることが重要だ。「話し合いたいけれど相手がいない」人が、最初の一歩を踏み出せる仕組みが必要になる。
②アクセシビリティの確保
障害のある人が実際にサイトを利用できるかどうかは、アクセシビリティにかかっている。やさしい日本語版、音声読み上げ対応、手話動画、ピクトグラムを活用したわかりやすい説明──こうした多様な情報保障がなければ、「すべての人のためのサイト」は絵に描いた餅になる。ウェブアクセシビリティ基準(JIS X 8341-3)への準拠はもちろん、当事者によるユーザーテストを経ての公開が望まれる。
③当事者の声を「教材」ではなく「対話の入口」に
サイトに当事者の体験談を掲載する計画があるならば、それを「成功事例の紹介」にとどめないでほしい。ACPは正解のないプロセスだ。迷ったこと、途中で考えが変わったこと、話し合いがうまくいかなかったこと──そうしたリアルな声こそが、「自分もやってみよう」という気持ちにつながる。当事者の語りを一方的に「掲載」するのではなく、それをきっかけに対話が生まれる仕掛けが求められる。
海外の事例から──オーストラリアの「支援付き意思決定」
参考になるのは、オーストラリアの取り組みだ。同国では、障害者権利条約第12条(法の前の平等)を踏まえ、「代行決定」から「支援付き意思決定(Supported Decision Making)」への転換を進めてきた。ビクトリア州では、本人が信頼する人を「意思決定支援者」として公的に登録し、医療やケアに関する話し合いに同席する仕組みが法制化されている。
日本に同じ制度をそのまま持ち込むことは難しいが、「意思決定を支える人」を本人が選び、その関係を公的に認めるという発想は、日本のACPにも応用できる。現在の成年後見制度は「代わりに決める」仕組みが中心だが、「一緒に考える」仕組みへの転換が求められている。法制審議会でも成年後見制度の見直しが議論されている今、ACPの文脈からもこの議論に光を当てることが重要だ。
「あの人の朝」を想像する
私がかつて働いていた障害者支援施設に、50代の男性がいた。知的障害があり、20年以上施設で暮らしていた。家族との交流はほとんどなく、日々の生活は施設のスケジュールに沿って流れていた。ある日、担当の支援員が「朝ごはん、パンとごはん、どっちがいい?」と聞いた。彼は少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに「パン」と答えた。
ACPは、この「パン」から始まるのだと思う。自分の好みを聞いてもらえること。それを覚えていてくれる人がいること。その延長線上に、「もしものとき」の話し合いがある。
厚労省のポータルサイトが、制度の説明や書類のダウンロードだけでなく、「あなたの声を聞きたい人がいる」というメッセージを届けるものになることを願っている。そして、そのメッセージが届くためには、サイトの向こう側に、実際に耳を傾ける人がいなければならない。
ポータルサイトの開設は、始まりにすぎない。本当に問われているのは、「話し合いましょう」と呼びかけた後に、私たちの社会がどれだけ「聞く準備」ができているか、ということだ。
参照元(出典)
- 自分らしく生きるための「人生会議」ポータルサイト(mhlw.go.jp)
- 第5回 孤独・孤立対策推進会議(令和8年5月28日開催)(wam.go.jp)
- 第57回社会保障審議会生活保護基準部会 資料(mhlw.go.jp)
執筆者プロフィール

児童福祉、発達障害、自閉スペクトラム症(ASD)など、子どもを取り巻く社会課題について執筆を行う。保護者や教育関係者にも伝わりやすい表現を心掛け、一人ひとりの子どもの成長と権利を尊重する視点から情報発信を続けている。