
「AIが当たり前になる社会」で、あの人の生活はどう変わるだろう
スマートフォンの音声アシスタントに話しかけて天気を確認する。翻訳アプリで海外のニュースを読む。チャットAIに相談しながら書類を仕上げる——。AIはすでに、多くの人の「ふつうの生活」に溶け込み始めています。
では、視覚に障がいのある人が行政の電子申請フォームを開いたとき、スクリーンリーダーはすべての項目を正しく読み上げてくれるでしょうか。聴覚に障がいのある人がオンライン説明会に参加したとき、AIによる自動字幕は専門用語を正確に変換してくれるでしょうか。知的障がいのある人にとって、長文のPDFで公開される政策文書は「読める情報」と言えるでしょうか。
2026年6月、政府は「AI基本計画(素案)」のパブリックコメント(以下、パブコメ)を募集しました。この計画は、今後の日本におけるAI活用の方向性を定める、いわば「設計図」です。同時期に、総務省の「デジタル空間における情報流通の諸課題への対処に関する検討会」報告書に対する意見募集も行われています。
どちらも、私たちの暮らしに深く関わるテーマです。そして、障がいのある人やその家族、支援者にとっては、「自分たちの声が届くかどうか」を左右する大切な機会でもあります。
今回は、この2つのパブコメを入り口に、「誰も取り残さないAI社会」という言葉の中身を、暮らしの目線から一緒に考えてみたいと思います。
パブコメって何?——「意見を届ける」仕組みをおさらい
パブリックコメントとは、国の行政機関が政策や制度の案を公表し、広く市民から意見を募る手続きのことです。行政手続法に基づく正式な制度で、届いた意見は行政機関が「考慮しなければならない」と定められています。つまり、届けた声は少なくとも「読まれる」ことが保障されているのです。
ただし、課題もあります。今回のAI基本計画(素案)に関するパブコメは、募集期間がわずか数日間と非常に短く設定されていました。素案のPDFは数十ページに及び、専門用語も多い。「読んで、考えて、書いて、送る」という一連の作業を、限られた日数で行うのは、障がいの有無にかかわらず簡単なことではありません。
とりわけ、スクリーンリーダーで長文PDFを読む視覚障がいのある方、文章の読解に時間がかかる知的障がいや学習障がいのある方にとって、この短い期間はハードルが高い。「意見を届けていい」と言われても、「届けられる形」になっていなければ、それは実質的に参加の機会が閉ざされているのと同じです。
一方で、総務省の情報流通に関する検討会報告書へのパブコメは2026年7月8日まで受け付けており、比較的時間に余裕があります。こちらは、デジタル空間での情報アクセシビリティにも触れており、障がいのある方にとって直接関わりの深い内容が含まれています。まだ間に合うこの機会を、ぜひ活かしていただきたいと思います。
AI基本計画(素案)を「暮らしの言葉」で読み解く
AI基本計画(素案)は、AIの研究開発、産業活用、人材育成、安全性、国際連携など多岐にわたるテーマを扱っています。その中で、「すべての人がAIの恩恵を享受できる社会」という理念が掲げられています。
この「すべての人」に、障がいのある人は含まれているでしょうか。
文書を丁寧に読むと、包摂性(インクルージョン)やアクセシビリティへの言及はあります。しかし、具体的にどの障がい種別に対してどのような配慮を行うのか、そのための予算や工程はどうなるのか、といった実装レベルの記述は限られています。
理念は書かれている。でも、「あの人の生活」を変えるための具体策が見えにくい——これが率直な印象です。
たとえば、AI技術は障がいのある方の暮らしをこんなふうに変えうる可能性を持っています。
- 視覚障がい:画像認識AIが街中の看板や商品ラベルを読み上げる。書類のレイアウトを解析して、スクリーンリーダーが正しい順序で読める形に変換する。
- 聴覚障がい:リアルタイム音声認識による高精度な自動字幕。手話をAIが認識してテキスト化する研究も進んでいる。
- 知的障がい・学習障がい:難しい文章をやさしい日本語に自動変換する。イラストや図解を自動生成して理解を助ける。
- 肢体不自由:視線入力や音声入力の精度向上。AIが操作の意図を予測して補完する。
こうした技術の種はすでに存在しています。問題は、それが「研究段階」にとどまるのか、「暮らしの中で使えるサービス」になるのか。その橋渡しを、国の計画がどこまで具体的に描けるかにかかっています。
「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」
障がい者権利条約の合言葉として知られる「Nothing About Us Without Us(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)」。この原則は、AI政策においても同じです。
AI基本計画の策定過程に、障がい当事者がどれだけ参画しているか。審議会や有識者会議の委員構成を見ると、AI技術の専門家や産業界の代表が中心で、障がい当事者やアクセシビリティの専門家の姿は限られています。
もちろん、パブコメは「誰でも意見を届けられる」仕組みです。しかし、先述のとおり、その仕組み自体がアクセシブルでなければ、当事者の声は構造的に届きにくくなります。
障害者職業総合センターは、障がいのある方の就労に関する調査研究を長年にわたって蓄積しています。若年性認知症のある方の就労状況調査や、さまざまな障がい種別に応じた就労支援マニュアルの開発など、現場に根ざした知見は豊富です。また、障害保健福祉研究情報システム(DINF)は、障がいに関する国内外の政策情報を集約・発信しています。
こうした専門機関の知見が、AI基本計画にどう接続されるのか。計画の中に「障がい者の就労支援におけるAI活用」や「情報アクセシビリティの確保に関する具体的指標」が盛り込まれるかどうかは、今後の注目点です。
あなたの声を届けるために——パブコメの書き方ガイド

「パブコメを出したいけれど、何を書けばいいかわからない」という声をよく聞きます。難しく考える必要はありません。あなたの経験や「こうだったらいいのに」という思いが、そのまま大切な意見になります。
ステップ1:素案を「全部読まなくていい」と知る
数十ページの文書をすべて読む必要はありません。目次を見て、自分に関係がありそうな章だけ読めば十分です。「アクセシビリティ」「包摂」「情報保障」「障害」といったキーワードで検索してみてください。
ステップ2:自分の経験から書く
たとえば——
- 「音声読み上げソフトを使っているが、行政のPDFが画像形式で読めないことがある。AI計画でも、公文書のアクセシビリティ基準を明記してほしい」
- 「知的障がいのある息子にとって、やさしい日本語版の公開は不可欠。AI活用でわかりやすい版を自動生成する仕組みを計画に入れてほしい」
- 「就労支援の現場でAIツールを使い始めているが、障がい特性に合った設定ができるものが少ない。開発段階から当事者の参画を義務づけてほしい」
こんなふうに、「自分ごと」として書かれた意見は、抽象的な提言よりもずっと力を持ちます。
ステップ3:提出する
総務省の情報流通に関する検討会報告書へのパブコメは、e-Gov(電子政府の総合窓口)から提出できます。締切は2026年7月8日です。オンラインフォームのほか、郵送やFAXでの提出も可能な場合があります。提出方法にアクセシビリティ上の困難がある場合は、問い合わせ窓口に相談してみてください。
支援者の方が、当事者と一緒に意見をまとめるのも一つの方法です。大切なのは、当事者の言葉がそこにあること。代筆であっても、その人の思いが込められていれば、それは立派な「声」です。
「絵空事」にしないために
「誰も取り残さないAI社会」——この言葉は、美しいけれど、放っておけば簡単にスローガンで終わってしまいます。
内閣府の障害者白書(令和6年版)によれば、日本の障がいのある方の数は約1,160万人。これは人口のおよそ9.2%にあたります。身体障がい、知的障がい、精神障がいのある方、それぞれが異なるニーズを持っています。「障がい者」とひとくくりにできない多様さがそこにはあります。
1,160万人。それは、一つの大きな都市の人口をゆうに超える数です。その一人ひとりの暮らしに、AIがどう関わるのか。便利になるのか、それとも新たなバリアが生まれるのか。それを決めるのは、技術ではなく、社会の意思です。
海外に目を向ければ、EUのAI規則(AI Act)では、AIシステムのリスク分類において、障がいのある人への影響を考慮することが明記されています。アメリカでは、障がい者の権利を定めたADA(Americans with Disabilities Act)の枠組みの中で、AI技術のアクセシビリティが議論されています。
日本がこうした国際的な流れに追いつくためには、計画の中に「アクセシビリティ」を理念としてだけでなく、具体的な基準・指標・予算として書き込むことが必要です。そして、その議論の場に当事者がいること。これが出発点です。
小さな声が、設計図を変える
パブコメに届く意見の一つひとつは、小さな声かもしれません。でも、その声が「ここに私がいる」と伝えることには、大きな意味があります。
計画を作る人たちは、すべての暮らしを知っているわけではありません。スクリーンリーダーで行政文書を読む大変さも、自動字幕の誤変換に戸惑う瞬間も、やさしい日本語がなければ内容を理解できないもどかしさも、経験した人にしかわからない。だからこそ、その経験を言葉にして届けることに価値があるのです。
「誰も取り残さないAI社会」は、今のままでは絵空事かもしれない。でも、絵空事を現実に近づける力は、制度の外側にもあります。あなたの声が、設計図の一行を変えるかもしれません。
参照元(出典)
- 人工知能基本計画(素案)に関する御意見の募集について(public-comment.e-gov.go.jp)
- 「デジタル空間における情報流通の諸課題への対処に関する検討会青少年保護ワーキンググループ第一次報告書(案)」についての意見募集(public-comment.e-gov.go.jp)
- 障害者職業総合センター NIVR(nivr.jeed.go.jp)
- ホーム | 障害保健福祉研究情報システム(DINF)(dinf.ne.jp)
執筆者プロフィール

福祉制度・法律分野に詳しく、事業者や支援者、当事者にとって実践的な記事の執筆を行っている。複雑な制度の背景や目的まで丁寧に読み解くことを得意とする。