視覚障害者の「読む」が変わる日——点字図書館のデジタル化が進む陰で、行政の情報発信に残る死角

視覚障害者の「読む」が変わる日——点字図書館のデジタル化が進む陰で、行政の情報発信に残る死角

「読めない情報」に囲まれる一日

スマートフォンのニュース通知、電車の運行情報、スーパーの特売チラシ、役所から届く通知書。私たちは一日に触れる情報の量をほとんど意識しない。けれど、視覚障害のある人にとって、その一つひとつが「届くかどうか分からない情報」だ。

日本には約31万人の視覚障害者がいるとされる(厚生労働省「生活のしづらさなどに関する調査」2016年)。高齢化に伴い中途失明者は増加傾向にあり、点字を読める人は視覚障害者全体の約1割にとどまる。つまり「点字にすれば届く」という時代はとうに過ぎている。音声読み上げ、拡大文字、デイジー(DAISY)図書、テキストデータ——「読む」の形は多様化し、点字図書館のサービスもまた大きく姿を変えつつある。

その一方で、行政のデジタル化を旗振りするデジタル庁の情報発信は、視覚障害者のもとにきちんと届いているのだろうか。点字図書館の現場が積み上げてきた知見と、行政のデジタル改革の間にある「死角」を見つめたい。

点字図書館が静かに起こしてきた革命

日本点字図書館(東京都新宿区)は1940年の創設以来、80年以上にわたって視覚障害者の「読む」を支えてきた。蔵書は点字図書約2万タイトル、録音図書約2万3,000タイトル(2024年時点の公表データ)。全国の点字図書館や公共図書館とネットワークを組み、「サピエ図書館」というオンラインプラットフォームを通じて、自宅にいながらデイジー図書や点字データをダウンロードできる仕組みを整えてきた。

サピエ図書館の登録利用者数は約1万5,000人(個人会員)。ここに蓄積されたデイジー図書は約10万タイトルを超え、年間のダウンロード件数は延べ約100万件に達する。かつては郵送で届くカセットテープを待つしかなかった録音図書が、今はスマートフォンのアプリで数分後に再生できる。この変化は、視覚障害者にとっての「情報の入手コスト」を劇的に下げた。

注目すべきは、テキストデータの提供拡大だ。テキストデータがあれば、利用者は自分の好みの音声エンジンや速度で読み上げさせることができる。点字ディスプレイを持っている人なら、リアルタイムで点字に変換して読むこともできる。「点字か音声か」という二択ではなく、「自分に合った読み方を選べる」環境が、ようやく現実のものになりつつある。

しかし、この恩恵を受けられるのは、デジタル機器を使いこなせる層に偏っている現実がある。視覚障害者の高齢化率は高く、65歳以上が約7割を占める。スマートフォンやパソコンの操作に不慣れな人にとって、「オンラインでダウンロード」というハードルは決して低くない。点字図書館の現場では、機器の使い方を教える「ICTサポート」の需要が年々高まっているが、対応できる職員やボランティアの数は限られている。

デジタル庁の情報発信——「見える人向け」の設計思想

デジタル庁は2021年の発足以来、行政手続きのオンライン化やデータ連携基盤の整備を進めてきた。広報面では、デジタル改革の進捗を伝える冊子「BRIDGE」や、政策情報を集約するウェブサイト、さらに自治体や民間との意見交換を行う「デジタル改革共創プラットフォーム」などを展開している。

問題は、これらの情報発信がどこまでアクセシブルに設計されているか、だ。

デジタル庁のウェブサイトは、ウェブアクセシビリティの国際規格「WCAG 2.1」への準拠を掲げている。実際、HTMLの構造化やalt属性の付与など、基本的な対応は進んでいる。しかし、冊子「BRIDGE」はPDF形式で公開されており、PDF内のテキスト構造が適切にタグ付けされていなければ、スクリーンリーダー(画面読み上げソフト)では正しく読み上げられない。図表やインフォグラフィックスに代替テキストが十分に付けられているかも、検証が必要だ。

さらに根本的な問題がある。デジタル庁が推進する「誰一人取り残されないデジタル社会」というスローガンの中で、視覚障害者の情報アクセスがどのような優先度で位置づけられているのか、政策文書からは読み取りにくい。アクセシビリティは「対応すべき要件」として挙げられてはいるが、当事者がどのように政策形成に参画しているのか、その過程は十分に可視化されていない。

「私たちのことを、私たち抜きに決めないで(Nothing About Us Without Us)」——障害者権利条約の根幹にあるこの原則が、デジタル政策の設計段階でどれだけ実践されているか。ここに、行政のデジタル化が抱える構造的な死角がある。

数字で見る「情報格差」の実像

視覚障害者の情報環境を考えるうえで、いくつかの数字を押さえておきたい。

日本の年間出版点数は約6万8,000タイトル(出版科学研究所、2023年)。一方、サピエ図書館に新たに登録されるデイジー図書や点字図書は、年間で約7,000〜8,000タイトル。つまり、出版される本のうち視覚障害者がアクセスできる形に変換されるのは、およそ10分の1にすぎない。

2013年に締結されたマラケシュ条約(盲人等のための著作権制限に関する条約)により、点字図書館等が著作権者の許諾なしにアクセシブルな形式の複製物を作成・提供できる範囲は広がった。日本は2019年に同条約を批准し、著作権法の改正も行われた。それでも、ボランティアの音訳者・点訳者の高齢化と担い手不足は深刻で、変換のスピードが出版のスピードに追いつかない現実は変わっていない。

また、総務省の通信利用動向調査(2023年)によれば、障害者のインターネット利用率に関する詳細な統計は十分に整備されていない。障害種別ごとのデジタルデバイスの利用実態を把握するための大規模調査自体が少なく、政策立案の基礎となるデータが不足しているのだ。「エビデンスに基づく政策立案(EBPM)」を掲げるデジタル庁にとって、この統計の空白は見過ごせない課題ではないか。

海外の動きから考える——「読書バリアフリー」の次のステージ

ヨーロッパでは、2019年に発効した「欧州アクセシビリティ法(European Accessibility Act)」が、2025年6月から本格適用される。電子書籍、セルフサービス端末、ECサイトなど、幅広いデジタル製品・サービスにアクセシビリティ対応が義務づけられる。違反した事業者には罰則も科される。

日本では、2019年に「読書バリアフリー法(視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律)」が施行された。理念法としての意義は大きいが、事業者への義務づけや罰則規定はない。また、同法の基本計画に基づく施策の進捗を評価する仕組みも、まだ十分に機能しているとは言いがたい。

日本に欧州型の義務化をそのまま持ち込むことが現実的かどうかは議論が必要だ。しかし、少なくとも行政機関が発信する情報——政策文書、広報資料、申請様式——については、アクセシブルな形式での提供を「努力義務」から「義務」に引き上げる議論があってもいい。デジタル庁が率先してその基準を示すことができれば、民間への波及効果も期待できる。

点字図書館と行政をつなぐ「翻訳者」の不在

もう一つ指摘しておきたいのは、点字図書館の現場と行政のデジタル政策をつなぐ「中間領域」の薄さだ。

点字図書館は、長年にわたって視覚障害者一人ひとりの「読みたい」に応えてきた。どんな形式なら読みやすいか、どんな機器を使っているか、どこでつまずくか——その蓄積は膨大だ。しかし、これらの知見が行政のデジタル政策に体系的にフィードバックされる回路は、まだ細い。

逆に、デジタル庁が進めるウェブアクセシビリティのガイドラインや技術標準が、全国約70カ所の点字図書館の現場にどこまで共有されているかも心もとない。点字図書館の職員が「行政のウェブサイトが読み上げに対応していない」という利用者の声を受けても、それをどこに届ければ改善につながるのか、明確なルートがない場合も多い。

必要なのは、当事者の声を起点に、現場の知見と行政の技術標準を双方向でつなぐ仕組みだ。それは大がかりな組織である必要はない。たとえば、デジタル庁のアクセシビリティチームと全国の点字図書館をつなぐ定期的な意見交換の場があるだけでも、状況は変わりうる。

小さな希望——「読む」の選択肢が増えるということ

取材を重ねる中で、ある全盲の女性が語ってくれた言葉が忘れられない。

「昔は、読みたい本があっても、点訳されるまで何カ月も待つしかなかった。今はサピエで検索して、なければリクエストを出せる。選べるようになっただけで、世界が広がった気がする」

選べること。それ自体が、情報アクセスにおける尊厳の問題だ。

点字図書館のデジタル化は、確実にその選択肢を増やしてきた。けれど、行政が発信する情報——まさに暮らしに直結する制度や手続きの情報——が「選べない」ままでは、デジタル社会の恩恵は届かない。

デジタル庁のスローガンは「誰一人取り残されない」。その言葉が本当に意味を持つかどうかは、31万人の視覚障害者の「朝の情報」が変わるかどうかで測られる。制度の設計図を描く人と、その制度を使って暮らす人の間に、もっと太い橋を架けること。それが、視覚障害者の「読む」が本当に変わる日への道筋だと思う。

参照元(出典)

  1. 日本点字図書館ホームページ(nittento.or.jp)
  2. デジタル庁紹介冊子「BRIDGE」を掲載しました(digital.go.jp)
  3. デジタル改革共創プラットフォームに参加しているメンバー等資料を更新しました(digital.go.jp)

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