「医療の人材確保」には会議室がある——では福祉の30万人不足は、どこで話し合われているのか

「医療の人材確保」には会議室がある——では福祉の30万人不足は、どこで話し合われているのか

訪問ヘルパーの到着を待っている人がいます。着替えを手伝ってもらわなければ、一日が始まらない。けれど今日も、予定の時間にインターホンは鳴りません。事業所から届いたのは「担当者の体調不良により、本日の訪問は短縮させていただきます」という連絡でした。

これは特別な話ではありません。全国の在宅福祉の現場で、毎日のように起きていることです。

厚生労働省は2024年、「医療関係職種の安定的な養成・確保に関する検討会」を立ち上げました。医師、看護師、薬剤師——医療を支える専門職の将来像を、国として議論する場です。その初回資料には、職種ごとの需給推計や養成課程の見直しなど、具体的な論点が並んでいました。

医療の人材確保に国が本腰を入れること自体は、もちろん必要なことです。ただ、ここで立ち止まって考えたいのです。生活支援員、訪問ヘルパー、相談支援専門員——福祉の現場を支えている人たちの確保について、同じ熱量で議論されている場は、今どこにあるのでしょうか。

数字が語る「見えにくい危機」

福祉分野の人材不足は、統計の上ではすでに深刻な水準に達しています。厚生労働省の推計によれば、介護分野だけでも2025年度には約32万人、2040年度には約69万人の人材が不足するとされています。障害福祉分野を含めれば、その数はさらに膨らみます。

「30万人不足」という数字は、抽象的に聞こえるかもしれません。でも、こう言い換えたらどうでしょう。30万人分の「朝の着替えの手伝い」「入浴の介助」「夜間の見守り」「通院の付き添い」が、届かないかもしれないということです。一つひとつは誰かの一日の始まりであり、誰かの安心であり、誰かの「ふつうの暮らし」そのものです。

有効求人倍率を見ると、介護関連職種は全職種平均の約3倍にあたる3.0倍前後で推移しています(2024年、厚生労働省「一般職業紹介状況」)。つまり、1人の求職者に対して3つの事業所が手を挙げている状態です。それでも人が来ない。来ても続かない。この構造的な問題に、制度としてどう向き合うのかが問われています。

英国NHSの挑戦——「メンタルヘルスにも人を」という意志

海外に目を向けると、英国の取り組みが一つの参考になります。英国のNHS(国民保健サービス)は、メンタルヘルス分野に8,500人の専門職を増員する方針を打ち出しました。精神科医、心理セラピスト、メンタルヘルス看護師、ソーシャルワーカーなど、多職種にわたる大規模な採用計画です。

注目すべきは、この政策が単なる「数合わせ」ではない点です。NHSは増員と同時に、地域ごとのメンタルヘルスチームの再編、待機時間の短縮目標の設定、そして既存職員の処遇改善をセットで進めています。「人を増やす」と「人が働き続けられる環境をつくる」を一体として設計しているのです。

英国と日本では医療・福祉制度の成り立ちが異なりますから、そのまま持ち込むことはできません。しかし、「国として、どの分野にどれだけの人材が必要かを明示し、そのために何をするかを具体的に示す」という姿勢には、学ぶべきものがあります。日本でこれを実現しようとするなら、まず福祉人材の需給推計を医療並みの精度で行い、職種ごとの養成・確保計画を策定する「場」が必要です。それが検討会なのか審議会なのかは問いませんが、少なくとも議論の入口が開かれていなければ、出口にはたどり着けません。

ある生活支援員の一日——「時間がない」の本当の意味

都内の障害者グループホームで働く生活支援員のAさん(30代)に話を聞きました。Aさんの担当は、知的障害のある6人の入居者の日常生活の支援です。

朝6時に出勤し、入居者の起床介助から一日が始まります。朝食の準備、服薬の確認、通所先への送り出し。日中は記録の作成、ケース会議、家族との連絡。夕方には入居者が帰宅し、夕食、入浴、就寝の支援が続きます。

「忙しいのは覚悟していました」とAさんは言います。「でも、一番つらいのは、時間がないことじゃないんです。Bさんが話しかけてくれたとき、ちゃんと聞いてあげられないこと。Cさんが新しいことに挑戦したいと言ったとき、一緒に考える余裕がないこと。それが積み重なると、自分は何のためにこの仕事をしているんだろうって」

人手不足は、支援の「量」だけでなく「質」を削ります。そしてそれは、支援を受ける人の暮らしの質を削ると同時に、支援する人のやりがいも削っていきます。やりがいが削られれば離職が進み、さらに人手が足りなくなる。この負のループを、現場の努力だけで断ち切ることは不可能です。

Aさんの月収は手取りで約20万円。夜勤手当を含めてです。同世代の全産業平均と比べると、年収ベースで約70万円から100万円の差があります(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」参照)。2024年度の介護報酬改定では処遇改善加算の一本化が行われましたが、現場の実感としては「少し上がったけれど、追いついていない」というのが正直なところだとAさんは話します。

医療と福祉の「非対称」はなぜ生まれるのか

医療の人材確保には検討会が設けられ、福祉にはそれが見えにくい。この非対称性はどこから来るのでしょうか。

一つには、医療職種の多くが国家資格として養成課程が法律で定められており、養成数の調整が制度的に可能だという事情があります。医師の定員は文部科学省と厚生労働省が管理し、看護師の養成校にも定員規制があります。だからこそ「足りない」「多すぎる」を国として議論する枠組みが成立しやすいのです。

一方、福祉の現場を支える人材の多くは、資格要件が緩やかか、あるいは無資格でも従事できる職種です。生活支援員や訪問ヘルパーは、介護福祉士の資格がなくても、初任者研修を修了すれば働けます。この「入口の広さ」は、人材確保の柔軟性という意味ではメリットですが、裏を返せば「国として養成数を管理する仕組みがない」ということでもあります。管理する仕組みがなければ、議論する場も生まれにくい。

もう一つ、より根深い問題があります。それは、福祉の仕事が社会の中でどう位置づけられているか、という認識の問題です。医療は「命を救う仕事」として広く認知されていますが、福祉は「お世話をする仕事」と見られがちです。しかし実際には、福祉の仕事は「その人がその人らしく暮らし続けることを支える仕事」であり、それは命を救うことと同じくらい、いえ、救われた命のその先を支えるという意味では、地続きの営みです。

この認識のギャップが、政策の優先順位に影響していないとは言い切れません。

「こうなったらいいのに」——三つの提案

批判だけでは朝は変わりません。ここでは、今すぐ議論を始められる三つの方向性を提案します。

第一に、福祉人材の確保に特化した検討会の設置です。医療関係職種の検討会と同等の位置づけで、介護福祉士、社会福祉士、精神保健福祉士、そして無資格で現場を支えている人たちも含めた人材確保の戦略を議論する場が必要です。需給推計、養成課程の見直し、処遇改善の財源論まで、包括的に扱える場です。

第二に、処遇改善の「見える化」と継続的な引き上げです。2024年度の処遇改善加算の一本化は前進ですが、加算が実際に職員の手元にいくら届いているのか、事業所ごとの公開を進めるべきです。そして、全産業平均との賃金格差を段階的に解消するロードマップを、数値目標とともに示すこと。「いつまでに、いくら」が見えなければ、若い世代は将来設計の中にこの仕事を位置づけることができません。

第三に、「福祉の仕事の再定義」に取り組むことです。これは制度の話だけではありません。福祉の仕事が持つ専門性——アセスメント力、コミュニケーション力、多職種連携の調整力——を社会に伝えていくことが、長期的な人材確保の土台になります。学校教育の中で福祉の仕事に触れる機会を増やすこと、メディアが福祉の現場を「大変でかわいそうな仕事」ではなく「高度で創造的な仕事」として伝えること。私たちメディアにも、その責任があります。

会議室のドアを、もう一つ開けてほしい

医療関係職種の検討会が始まったことは、歓迎すべきことです。医療人材の確保は、私たちの命と健康に直結する重要な課題だからです。

ただ、その隣に、もう一つドアを開けてほしいのです。

朝7時にインターホンが鳴るのを待っている人がいます。その人の一日が始まるために、誰かがそこにいなければなりません。その「誰か」をどう確保し、どう支え、どう育てていくのか。それを国として議論する場が、今、必要です。

福祉の人材不足は、「福祉の問題」ではありません。私たちの誰もが、いつか支援を必要とする側になり得る。そのとき、「人がいません」と言われる社会と、「大丈夫、ここにいますよ」と言ってもらえる社会と、どちらに暮らしたいか。答えは明らかではないでしょうか。

会議室のドアは、開けようと思えば開けられます。あとは、その意志があるかどうかです。

参照元(出典)

  1. 第1回 医療関係職種の安定的な養成・確保に関する検討会:資料(mhlw.go.jp)
  2. Department of Health and Social Care – GOV.UK(gov.uk)
  3. 第224回労働政策審議会職業安定分科会を開催します(mhlw.go.jp)
  4. 最低賃金に関する実態調査(mhlw.go.jp)

執筆者プロフィール

TOPへ