介護情報のデジタル化は誰のためか——利活用WGとガバメントAI計画の間で置き去りにされる「現場の手触り」

介護情報のデジタル化は誰のためか——利活用WGとガバメントAI計画の間で置き去りにされる「現場の手触り」

ある特別養護老人ホームの夜勤明け。支援員の女性は、8時間の勤務を終えてもまだパソコンの前にいた。入居者一人ひとりのバイタル、食事量、排泄の記録、夜間の様子——入力すべき項目は数十にのぼる。「この時間があれば、朝食のとき田中さんともう少し話せたのに」。彼女のつぶやきは、全国約215万人の介護従事者の多くが感じている実感だろう。

介護情報のデジタル化が、国の重要施策として加速している。介護情報利活用ワーキンググループ(WG)は医療・介護間の電子的な情報連携の枠組みを議論し、2025年6月に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」ではAI技術の行政活用を柱とする「ガバメントAI計画」が盛り込まれた。いずれも方向性としては正しい。だが、その設計図の中に、夜勤明けの支援員の手や、画面の文字が読みにくいと訴える85歳の利用者の指先は、どこまで描き込まれているだろうか。

介護情報利活用WGが目指す「つながる情報基盤」

介護情報利活用WGは、健康・医療・介護情報利活用検討会の下に設置された作業部会だ。直近の会合では、介護事業所が保有するケアプランや日々の記録、医療機関が持つ診療情報を電子的に共有する仕組みの具体化が議題に上った。

現状、介護と医療の情報連携は驚くほどアナログだ。厚生労働省の調査によれば、在宅サービス事業所のうち、医療機関と電子的に情報をやりとりしている割合は2割に満たない。退院時の情報提供はFAXや紙の診療情報提供書に頼る施設が依然として多く、相談支援専門員やケアマネジャーが「必要な情報を、必要なタイミングで得られない」と感じる場面は日常的に起きている。

WGが描くのは、全国医療情報プラットフォーム構想と連動した情報基盤だ。利用者の同意のもと、要介護認定情報、ケアプラン、LIFE(科学的介護情報システム)に蓄積されたアウトカムデータ、そして医療側の処方情報や検査結果を一元的に閲覧できる仕組みを目指している。実現すれば、たとえば退院直後の利用者を受け入れる訪問介護事業所が、入院中の経過や服薬状況をリアルタイムで確認できるようになる。

しかし、構想と現場の間には深い溝がある。

「入力する側」の負担という死角

LIFEは2021年度の介護報酬改定で本格導入され、科学的介護の推進を旗印にデータ提出を求める加算が新設された。だが、導入から4年が経った今も、現場からは「入力項目が多すぎる」「フィードバックが抽象的で、ケアの改善にどうつなげればいいかわからない」という声が絶えない。

介護労働安定センターの「介護労働実態調査」(令和5年度)によれば、介護職員が「業務上の悩み」として挙げる項目のうち、「書類・記録の作成が多い」は常に上位に入る。記録業務に費やす時間は1日あたり平均60〜90分という調査結果もあり、これは8時間勤務のおよそ1〜2割に相当する。デジタル化が進んでも、入力すべきデータ量が増えれば、現場の負担は減るどころかむしろ増える。

ここに、ガバメントAI計画が一つの可能性を示す。

ガバメントAI計画——行政の効率化は介護現場に届くか

2025年6月に閣議決定された重点計画に含まれるガバメントAI計画は、行政事務へのAI導入を体系的に進めるものだ。書類の自動要約、問い合わせ対応のチャットボット化、データ分析の高度化など、多岐にわたる活用が想定されている。

介護分野への応用として期待されるのは、大きく三つある。

第一に、記録業務の自動化・省力化だ。音声入力やセンサー連動による自動記録は、すでに一部の先進的な施設で試行されている。AIが支援員の口頭報告を自動でテキスト化し、所定のフォーマットに振り分ける——こうした技術が標準装備になれば、夜勤明けの支援員がパソコンの前で費やす時間は大幅に短縮できるかもしれない。

第二に、ケアプラン作成の支援だ。LIFEに蓄積されたデータをAIが分析し、類似ケースの改善事例を提示する。ケアマネジャーの経験と勘を否定するのではなく、エビデンスで補強する道具としてのAIだ。

第三に、給付適正化や不正検知。介護給付費は2024年度で約11.5兆円に達し、2040年度には約15.3兆円に膨らむと推計されている。AIによるレセプト分析で不適切な請求を早期に発見できれば、限られた財源をより必要な人に届けられる。

だが、これらはいずれも「可能性」の段階にとどまっている。ガバメントAI計画の現時点での主眼は中央省庁の内部事務であり、介護現場への具体的な実装スケジュールは明示されていない。計画の文書には「福祉分野におけるAI活用の検討」という文言はあるが、予算措置や実証事業の詳細はこれからだ。

置き去りにされかねない人たち

デジタル化の議論で最も注意すべきは、「つながれない人」の存在だ。

総務省の「通信利用動向調査」(2024年)によれば、80歳以上のインターネット利用率は約35%。スマートフォンを日常的に使いこなせる高齢者はさらに限られる。介護サービスの利用者の中心は75歳以上であり、マイナポータルで自分の介護情報を確認できる人は、現時点ではごく少数だ。

障害のある人にとっても、デジタルデバイドは深刻な問題だ。視覚障害、知的障害、発達障害など、障害の種別によってアクセシビリティの課題は異なる。音声読み上げに対応していないシステム、複雑な認証手続き、直感的でないUI——こうしたバリアが一つでもあれば、「情報を共有される側」であるはずの当事者が、自分自身の情報から排除されるという逆説が生まれる。

「私たちのことを、私たち抜きに決めないで(Nothing About Us Without Us)」。障害者権利条約の根幹にあるこの原則は、デジタル化の設計段階にこそ適用されなければならない。WGの構成員に当事者代表がどれだけ含まれているか、ガバメントAI計画のユーザーテストに高齢者や障害者が参加しているか——こうした問いを、私たちメディアは繰り返し投げかける必要がある。

海外の先行事例から何を学ぶか

デンマークでは、医療・介護・福祉の情報を市民ポータル「sundhed.dk」で一元管理し、本人がいつでも自分の情報にアクセスできる仕組みを2003年から段階的に構築してきた。注目すべきは、導入にあたって全国の図書館や市民センターに「デジタルサポーター」を配置し、高齢者や障害者が操作方法を学べる場を整備した点だ。技術の導入と、人による伴走支援をセットにしたからこそ、高齢者のポータル利用率は70%を超えている。

日本でこの仕組みを移植するなら、何が必要か。まず、介護事業所のICT環境の底上げだ。Wi-Fi整備やタブレット導入に対する補助金は存在するが、申請手続きの煩雑さや、導入後の保守費用が障壁になっている小規模事業所は多い。全国約21万の介護事業所のうち、従業員10人未満の小規模事業所が約6割を占める現実を考えれば、大規模法人向けの施策だけでは不十分だ。

次に、デジタルリテラシー支援の担い手の確保。デンマークのように図書館や公民館を拠点にするのは現実的だが、そこに配置する人材の育成と処遇をどうするかという課題が残る。ボランティア頼みでは持続しない。

11.5兆円の介護給付費が問いかけるもの

介護給付費は毎年増加の一途をたどり、2024年度は約11.5兆円。これは国の一般会計歳出の約1割に相当する規模だ。この巨額の費用を支えているのは、40歳以上の国民が支払う介護保険料と税金である。2024年度の65歳以上の第1号被保険者の保険料は全国平均で月額約6,225円に達し、制度発足時の2,911円から倍以上に膨れ上がった。

デジタル化への投資は、この膨張する費用構造の中でどう位置づけられるのか。厚労省の「ICT導入支援事業」の予算規模は年間数十億円程度であり、11.5兆円の全体像からすれば微々たるものだ。だが、その「微々たる投資」が現場の業務を本当に効率化し、離職率の低下やケアの質の向上につながるなら、費用対効果は計り知れない。

問題は、その効果を測定する仕組みが十分に整っていないことだ。ICTを導入した事業所の離職率は下がったのか、利用者満足度は上がったのか、記録業務の時間は実際にどれだけ削減されたのか——こうしたデータを体系的に収集・公開する取り組みが求められる。「デジタル化が進んでいます」という報告ではなく、「デジタル化によって、誰の、何が、どれだけ変わったのか」を示す責任が、政策立案者にはある。

小さな希望の在りか

悲観ばかりを並べたいわけではない。

筆者が取材で出会ったある地方の小規模多機能型居宅介護事業所では、タブレットによる音声入力を導入したことで、記録時間が1日あたり約30分短縮されたという。その30分で、職員は利用者と一緒に庭の花に水をやる時間を作った。「記録のための記録じゃなくて、あの人の暮らしを残すための記録になった気がする」と、管理者は語った。

デジタル化の本質は、技術の導入そのものにはない。技術によって生まれた「余白」を、人と人との関わりに充てられるかどうかにある。

介護情報利活用WGの議論が、制度設計者の会議室の中だけで完結しないために。ガバメントAI計画が、霞が関の業務効率化で終わらないために。私たちは、現場で利用者の手を握っている人たちの声を、これからも届け続けたい。

デジタル化は手段であって、目的ではない。目的はいつも、あの人の暮らしが少しでも楽になること。その原点を見失わない限り、テクノロジーは確かに味方になる。

参照元(出典)

  1. 第11回 健康・医療・介護情報利活用検討会 介護情報利活用ワーキンググループ(令和8年7月23日開催)(wam.go.jp)
  2. 「デジタル社会の実現に向けた重点計画」(2026年7月21日閣議決定)を公表しました(digital.go.jp)
  3. 「ガバメントAI 源内OSS Ver 2.0の計画に関するオンライン説明会」の開催について(ご案内)(digital.go.jp)
  4. 政府情報システムにおける利用者満足度評価の導入について掲載しました(digital.go.jp)
  5. 第4回社会福祉法人会計基準等検討会の開催について(令和8年7月29日開催)(wam.go.jp)

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