「介護保険で暮らせますか」——65歳の壁を前に、介護保険部会の意見書を読み直す

「介護保険で暮らせますか」——65歳の壁を前に、介護保険部会の意見書を読み直す

64歳と65歳。誕生日をひとつ越えただけで、届くサービスの「質」も「量」も変わってしまう——。

脳性まひのある田中さん(仮名・64歳)は、週5日のヘルパー派遣と月2回の移動支援を使いながら、ひとり暮らしを続けてきた。来年、65歳になる。「介護保険に切り替わったら、今と同じ時間数のヘルパーが来てくれるのか。正直、怖い」。田中さんの不安は、全国に約15万人いるとされる65歳到達前後の障害当事者に共通するものだ。

2024年末に社会保障審議会・介護保険部会がまとめた意見書、そして介護給付費分科会の審議報告。そこに書かれた文字を、「あの人の朝がどう変わるか」という目で読み直してみたい。

介護保険部会の意見書——何が書かれ、何が書かれなかったか

介護保険部会の意見書は、次期制度改正に向けた論点を幅広く整理したものだ。給付と負担のバランス、介護人材の確保、地域包括ケアシステムの深化——。いずれも高齢社会の持続可能性にとって欠かせないテーマである。

介護報酬については、令和6年度改定で1.59%の引き上げ(うち介護職員の処遇改善分0.98%)が実施された。処遇改善加算の一本化によって、介護職員1人あたり月額平均6,000円程度の賃上げ効果が見込まれている。人材不足が深刻ななか、この方向性自体は歓迎すべきだろう。

しかし、意見書を丁寧に読んでいくと、ある「不在」に気づく。障害福祉サービスから介護保険サービスへ移行する当事者の暮らしへの言及が、ほとんど見当たらないのだ。意見書のなかで「障害」という語が登場するのは、共生型サービスの推進や地域共生社会の理念を述べる文脈にほぼ限られる。理念は語られても、移行期に何が起きるかという「生活の手触り」は抜け落ちている。

「65歳の壁」——数字で見る暮らしの断層

障害福祉サービスと介護保険サービスの間には、具体的にどれほどの差があるのか。いくつかの数字を並べてみよう。

支給量の違い。障害福祉の重度訪問介護では、最重度の場合に月744時間(1日24時間)の支給決定を受けている人もいる。一方、介護保険の要介護5で利用できる区分支給限度基準額は月36,217単位。訪問介護の身体介護(30分以上1時間未満=396単位)に換算すれば約91回分、時間にして概算で約45〜70時間程度にしかならない。もちろん単純比較はできないが、「桁が違う」という実感は当事者にとって切実だ。

自己負担の違い。障害福祉サービスの利用者負担は、住民税非課税世帯であれば原則0円。介護保険は原則1割負担で、一定所得以上なら2割・3割負担となる。年金収入だけで暮らす障害当事者にとって、月数千円から数万円の負担増は食費や光熱費を直撃する。

サービスの「質」の違い。障害福祉のヘルパーは、長年にわたって同じ当事者を担当し、言葉にならないコミュニケーションや独自の介助方法を身につけていることが多い。65歳で介護保険に移行すると、事業所が変わり、ヘルパーも替わる。ALS(筋萎縮性側索硬化症)や重度の知的障害がある人にとって、「慣れた手」を失うことは命に関わるリスクでもある。

こうした落差を埋めるために、2018年の法改正で「新高額障害福祉サービス等給付費」が創設された。65歳に達するまで長期間にわたり障害福祉サービスを利用していた人が介護保険に移行した場合、介護保険の利用者負担分を償還払いで軽減する仕組みだ。しかし、対象要件が厳しく(65歳到達前5年間にわたり障害福祉の支給決定を受けていることなど)、実際に利用できている人は限定的だ。制度はあるのに届かない、という典型的な構造がここにもある。

共生型サービスは「橋」になれているか

2018年度に導入された共生型サービスは、介護保険と障害福祉の「橋渡し」として期待された。同じ事業所が両方の指定を受けることで、65歳を超えても同じ場所に通い続けられる——という設計思想だ。

ところが、実態はどうか。厚生労働省の調査によれば、共生型サービスの指定を受けた事業所数は全国でまだ数百か所程度にとどまり、地域偏在も大きい。報酬単価が介護保険側・障害福祉側いずれの本体報酬よりも低く設定されるケースがあるため、事業者にとって経営上のメリットが薄い。「理念は美しいが、経営が成り立たない」という声は現場で繰り返し聞かれる。

今回の介護保険部会の意見書でも、共生型サービスのさらなる推進がうたわれている。だが、報酬構造の見直しや、自治体の指定手続きの簡素化といった具体策にまで踏み込まなければ、「橋」は架かったまま誰も渡らない飾りになりかねない。

介護報酬改定審議報告を「障害者の目」で読む

介護給付費分科会の審議報告には、訪問介護の基本報酬引き下げという衝撃的な内容が含まれていた(令和6年度改定)。処遇改善加算の一本化で全体としてはプラスになる設計だが、小規模の訪問介護事業所にとっては経営を圧迫する要因となった。実際、改定後に廃止届を出した訪問介護事業所は前年同期比で増加したとの報道もある。

この影響は、障害当事者にも波及する。地方部では、障害福祉と介護保険の両方の指定を受けて運営している小規模事業所が少なくない。訪問介護の収益が悪化すれば、障害福祉サービスの提供体制にも連鎖的にダメージが及ぶ。ひとつの報酬改定が、制度の壁を越えて別の制度の利用者の暮らしを揺るがす。こうした「制度横断的な波及効果」は、縦割りの審議会構造のなかでは見落とされやすい。

海外の視点——スウェーデンの「パーソナルアシスタンス」が示すもの

スウェーデンでは、LSS法(一定の機能障害を持つ人への支援とサービスに関する法律)に基づく「パーソナルアシスタンス」制度があり、年齢による制度移行は原則として発生しない。障害のある人は65歳を超えても、同じ枠組みのなかで必要な支援を受け続けることができる。

もちろん、税負担の水準も社会構造も異なるスウェーデンの制度をそのまま日本に移植することはできない。しかし、「年齢で支援の枠組みを切り替えない」という設計思想は、日本の制度を見直すうえでの重要な参照点になる。少なくとも、65歳到達時に本人の意向や生活実態を丁寧にアセスメントし、必要であれば障害福祉サービスを継続できる仕組みを実質化することは、現行法の枠内でも可能なはずだ。

分断を越えるために——3つの提案

最後に、今回の意見書と審議報告を踏まえて、3つの視点を提案したい。

1. 「移行アセスメント」の義務化と標準化。65歳到達時に、障害福祉の相談支援専門員と介護保険のケアマネジャーが共同でアセスメントを行い、本人の生活実態に即したサービス利用計画を作成する仕組みを全国で標準化すべきだ。現在も一部自治体では実施されているが、地域差が大きい。

2. 共生型サービスの報酬体系の再設計。事業者が共生型の指定を取得するインセンティブを高めるため、報酬単価の底上げと、指定手続きのワンストップ化を進める必要がある。

3. 介護保険部会と障害者部会の「合同セッション」の定例化。年に1回でもいい。同じテーブルで、同じ人の暮らしを議論する場をつくること。制度は分かれていても、暮らしはひとつだ。

小さな希望のありか

冒頭の田中さんに、この記事の下書きを読んでもらった。「制度の話は難しいけど、自分のことが書いてあると思った」と言ってくれた。そして、こう続けた。「65歳になっても、朝ヘルパーさんが来て、コーヒーを淹れてくれて、『今日はどこ行く?』って聞いてくれる。それだけでいいんだけどな」。

制度は、人の暮らしのためにある。意見書の行間に、あの人の朝の風景を書き込むこと。それが、制度の分断を越える最初の一歩だと、私は信じている。

次期制度改正の議論はこれから本格化する。田中さんの朝が変わらないために、私たちは声を上げ続ける。

参照元(出典)

  1. 社会保障審議会 介護保険部会 介護保険制度の見直しに関する意見(令和7年12月25日公表)(wam.go.jp)
  2. 令和8年度 介護報酬改定に関する審議報告(令和7年12月23日公表)(wam.go.jp)
  3. 第132回 社会保障審議会 介護保険部会(令和7年12月22日開催)(wam.go.jp)
  4. 第153回 社会保障審議会 障害者部会(令和7年12月8日開催)(wam.go.jp)
  5. 第134回 社会保障審議会 介護保険部会(令和8年3月9日開催)(wam.go.jp)

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