福祉職員の退職金が変わる——共済制度見直しの「静かな地殻変動」を読み解く

福祉職員の退職金が変わる——共済制度見直しの「静かな地殻変動」を読み解く

22歳で福祉の現場に飛び込んだ新人職員が、定年まで勤め上げたとき、手にする退職金はいくらか。その金額を聞いたとき、多くの人は言葉を失うだろう。民間企業の大卒総合職が受け取る退職金の平均がおよそ2,000万円前後とされる中、社会福祉施設職員等退職手当共済制度(以下、福祉退共)における支給額は、同じ年数を勤めてもその数分の一にとどまるケースが少なくない。「入口の賃金」の低さはたびたび報じられてきた。しかし「出口の退職金」の問題は、あまりにも静かに放置されてきた。

いま、その静かな領域に地殻変動が起きようとしている。厚生労働省が設置した「社会福祉施設職員等退職手当共済制度の在り方に関する検討会」が、制度の抜本的な見直しに向けた議論を進めているのだ。

福祉退共とは何か——制度の骨格を知る

福祉退共は、社会福祉法人が運営する施設の職員を対象とした退職金制度である。独立行政法人福祉医療機構が運営し、事業主が毎月掛金を納付することで、職員が退職した際に退職手当金が支給される仕組みだ。加入施設数は約3万、被共済職員数は約90万人にのぼる。つまりこの制度の行方は、90万人の暮らしに直結する。

現行制度の特徴は、勤続年数に応じた支給乗率が設定されている点にある。しかし、その乗率カーブは長年据え置かれてきた部分が多く、中堅層——たとえば勤続10年から20年の職員——にとって、退職金の伸びが実感しにくい構造になっている。20年勤務した場合の退職手当金は、本俸月額や加入期間によって異なるが、概算で300万円台から400万円台にとどまるケースが一般的だ。同じ20年を民間企業で勤めた場合の退職金中央値がおよそ700万円から1,000万円程度であることを考えると、その差は歴然としている。

検討会で何が議論されているのか

検討会では、複数の論点が俎上に載せられている。注目すべきは、大きく三つの方向性だ。

第一に、支給乗率の見直しである。特に勤続10年以上の中堅・ベテラン層に対する乗率を引き上げることで、「長く働くほど報われる」設計への転換が議論されている。福祉現場では、経験5年から10年の職員が他業種へ転職するケースが後を絶たない。この層の離職を食い止めるには、将来の退職金が「見える形」で増えていく仕組みが必要だという認識が共有されつつある。

第二に、公費助成のあり方の再検討だ。福祉退共には、かつて国と都道府県による掛金補助が手厚く設けられていた。しかし2006年の制度改正で、保育所や障害者支援施設など措置施設以外への公費助成が廃止された経緯がある。この結果、事業主の掛金負担が増し、制度への加入を躊躇する法人も出てきた。検討会では、人材確保の観点から公費助成の復活や拡充を求める声が上がっている。

第三に、ポータビリティの強化である。現行制度では、福祉退共に加入している法人間の異動であれば加入期間を通算できるが、加入していない法人への転職や、一時的な離職を挟んだ場合には通算が途切れてしまう。福祉人材の流動性が高まる中、「法人を変わっても退職金が積み上がる」仕組みへの移行が求められている。

90万人の暮らしに何が起きるか

数字を「人の暮らし」に翻訳してみよう。

仮に、勤続20年の支給乗率が現行から1.2倍に引き上げられたとする。本俸月額25万円の職員であれば、退職手当金はおよそ60万円から80万円増える計算になる。60万円——それは、子どもの大学入学金に相当する。あるいは、老朽化した自家用車を買い替える費用に近い。「たかが数十万円」と思うかもしれない。しかし、福祉職員の年収が全産業平均より数十万円低い現実の中で、この差額は将来設計の「諦め」と「希望」を分ける金額だ。

ある特別養護老人ホームで15年働く介護福祉士の女性は、こう話していた。「退職金のことは正直あまり考えたことがなかった。毎月の給料でいっぱいいっぱいだから。でも、同い年の友人が一般企業を辞めたとき、退職金で住宅ローンの繰り上げ返済をしたと聞いて、初めて自分の退職金を調べた。金額を見て、ちょっと泣きそうになった」。

この声は、90万人の被共済職員の中で決して少数派ではないだろう。

「入口」と「出口」を同時に変える意味

退職金制度の見直しは、近年進む福祉職員の処遇改善策と合わせて読み解く必要がある。

障害福祉分野では、「障害福祉分野における人材確保・生産性向上に関する検討会」が並行して議論を重ねている。ここでは、賃金水準の底上げ、ICT活用による業務効率化、キャリアパスの明確化など、多角的な人材確保策が検討されている。令和7年度の障害福祉サービス等報酬改定でも、福祉・介護職員の処遇改善加算の一本化が実施され、事業所が加算を取得しやすい仕組みへと再編された。

また、令和8年度の春季賃上げ交渉では、主要企業の賃上げ率が5%を超える水準で妥結する例も相次いでいる。全産業的な賃上げの波は、福祉分野にも波及圧力をかけている。処遇改善加算による月額賃金の引き上げと、退職金共済制度の見直しによる生涯賃金の底上げ——この「入口」と「出口」の両方が同時に動くことは、福祉職員のキャリア全体を通じた経済的安定に向けた、これまでにない転換点となりうる。

見落とされがちな「非正規職員」の問題

ただし、ここで一つ、見落としてはならない視点がある。福祉退共の対象は、原則として「常勤職員」だ。パートタイムや有期契約で働く非正規職員は、制度の恩恵を受けられないケースが多い。

厚生労働省の調査によれば、介護分野で働く労働者のうち非正規雇用の割合は約4割にのぼる。障害福祉分野でも、生活支援員や就労支援員の中に非正規職員は少なくない。退職金制度の見直しが「正規職員だけの朗報」に終わるなら、現場の分断をかえって深めかねない。検討会の議論が、非正規職員の包摂にまで踏み込めるかどうかは、制度改正の「質」を問う試金石になる。

他業種との比較——建設業退職金共済に学ぶもの

参考になるのは、建設業退職金共済制度(建退共)の仕組みだ。建退共は、日雇いや短期雇用が多い建設労働者のために設計された制度で、働いた日数分の掛金を「証紙」で積み立てる方式を採用している。事業主が変わっても、証紙を貼った共済手帳を持ち歩くことで退職金が通算される。近年は電子申請方式への移行も進み、利便性が向上している。

福祉分野でも、法人間の異動や非正規雇用が増える中で、「人に紐づく」退職金の仕組みは検討に値する。建退共のような柔軟なポータビリティを福祉退共に導入できれば、雇用形態を問わず退職金が積み上がる世界が見えてくる。

制度改正のスケジュールと今後の注目点

検討会の議論は、今後取りまとめに向けた段階に入る見通しだ。制度改正が実現するには、社会福祉法や関連政省令の改正が必要となるため、実際の施行までには一定の時間がかかる。しかし、方向性が示されること自体が、現場に与えるメッセージは大きい。

注目すべきポイントは、以下の三点に集約される。

  1. 支給乗率の引き上げ幅と対象層——中堅層に手厚くなるのか、全体を底上げするのか
  2. 公費助成の復活・拡充の有無——事業主負担の軽減なくして制度の普及は進まない
  3. 非正規職員やポータビリティへの対応——制度の「外側」にいる人をどこまで包摂できるか

小さな希望を、確かな設計図に

福祉の仕事を選んだ人たちは、「お金のために」この道に入ったわけではない。それは多くの職員が口にする言葉だ。しかし、お金のことを考えなくていいわけでもない。家賃を払い、子どもを育て、老後に備える——その当たり前の暮らしを支えるのが、賃金であり、退職金だ。

退職金制度の見直しは、華やかなニュースにはなりにくい。しかし、90万人の職員とその家族の「20年後」を左右する、静かだが確かな地殻変動である。制度設計の細部にこそ、福祉という仕事への社会の敬意が表れる。検討会の議論が、現場で働く一人ひとりの暮らしを見据えたものになることを、私たちは注視し続けたい。

あの施設で一緒に働いていた先輩は、今年で勤続25年になる。彼女が退職する日に手にする金額が、その四半世紀の仕事に見合うものであってほしい。それは願いではなく、制度が果たすべき責任だと思う。

参照元(出典)

  1. 社会福祉施設職員等退職手当共済制度の在り方に関する検討会(第3回)議事録(mhlw.go.jp)
  2. 第1回障害福祉分野における人材確保・生産性向上に関する検討会(資料)(mhlw.go.jp)
  3. 令和8年 民間主要企業春季賃上げ要求・妥結状況を公表します(mhlw.go.jp)
  4. 令和7年度雇用均等基本調査(mhlw.go.jp)

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