グループホームで暮らす30代の男性が、毎朝決まった時間に「おはよう」と声をかけてくれる世話人さんのことを「家族みたいな人」と言っていた。その世話人さんの給与を支えているのが、報酬単価という名の「値札」だ。その値札が、いま書き換えられようとしている。
令和8年7月3日、障害福祉サービス等報酬改定検討チームの第58回会合が開催される。次期報酬改定に向けた本格的な論点整理が進むこの会合は、全国約14万の障害福祉サービス事業所と、そこで暮らし・働き・支えられている約160万人の利用者の日常に直結する。報酬単価の1円の変動が、誰かの「おはよう」を守れるかどうかを左右する——そう言っても大げさではない。
今回は、この会合を前に押さえておきたい3つの論点を、現場の暮らしに引きつけて整理する。
論点1:報酬単価の増減は、何人分の暮らしの話なのか
報酬改定の議論では、単価が数円〜数十円動くことが焦点になる。数字だけ見れば地味に映るかもしれない。しかし、その数円は現場では別の意味を持つ。
たとえば、生活介護事業所で利用定員20人、月22日稼働の事業所を想定してみよう。基本報酬が1日あたり10単位(約100円)下がった場合、この事業所の年間収入は約52万8,000円減少する。これは、パート職員1人分の月額賃金(約4万4,000円)に相当する。つまり「単価10単位の引き下げ=パート1人分の人件費が消える」ということだ。
逆に10単位引き上げられれば、その分を処遇改善に回す余地が生まれる。福祉・介護職員の平均年収は全産業平均より約70万円低いとされる(令和5年賃金構造基本統計調査)。報酬単価の改定は、この格差を埋めるのか、さらに広げるのかを決める分水嶺になる。
全国で約14万ある障害福祉サービス事業所に、この影響が一斉に及ぶ。仮に1事業所あたり年間50万円の収入減が生じれば、業界全体では約700億円規模のインパクトになる。700億円——それは数字であると同時に、何万人もの支援員の暮らしであり、その支援員に支えられている利用者の暮らしでもある。
論点2:利用者の「選べる暮らし」が狭まるリスク
報酬改定の影響は、事業所の経営を経由して、最終的に利用者の日常に届く。この「経由」の部分を、もう少し丁寧に見ておきたい。
令和6年度の報酬改定では、就労継続支援A型の基本報酬にスコア方式がより厳格に適用され、経営が立ち行かなくなった事業所の閉鎖が相次いだ。厚生労働省の集計によれば、令和6年4月から12月までにA型事業所を退所した利用者は全国で約6,000人にのぼった。その多くが「次の行き先」を見つけるまでに数カ月を要し、なかには在宅に戻らざるを得なかった人もいる。
この経験は、報酬改定が利用者の生活を直撃しうることを改めて示した。報酬が下がる→事業所が撤退する→利用者の選択肢が減る——この連鎖は、特に地方で深刻だ。人口5万人未満の自治体では、同種のサービスを提供する事業所が1カ所しかないケースも珍しくない。その1カ所が閉じれば、利用者は隣の市町村まで通うか、サービスそのものを諦めるかの二択を迫られる。
第58回会合では、こうした地域偏在の問題がどこまで議論の俎上に載るかが注目される。報酬単価を全国一律で設定する現行の仕組みのもとでは、都市部の事業所には十分でも、地方の小規模事業所には足りないという構造的な矛盾がある。地域区分の見直しや、小規模事業所への加算の拡充など、「値札」の付け方そのものを問い直す議論が求められている。
障害のある人が「どこで暮らすか」「どう働くか」を自分で選べること。それは障害者権利条約が掲げる基本原則であり、日本が批准国として果たすべき約束でもある。報酬改定は、その約束を支えるインフラの設計図を描く作業にほかならない。
論点3:介護報酬との「見えない連動」を読む
障害福祉サービスの報酬改定は、3年に一度、介護報酬改定と同時に行われる。この「同時改定」の構造が、両制度の報酬体系に見えない連動を生んでいる。
令和8年6月29日に開催された社会保障審議会・介護給付費分科会では、次期介護報酬改定に向けた議論が始まった。介護分野では訪問介護の基本報酬が令和6年度改定で引き下げられたことへの反発が根強く、次期改定での見直しを求める声が上がっている。仮に介護側で訪問系サービスの報酬が引き上げられれば、障害福祉の居宅介護や重度訪問介護にも波及する可能性がある。
なぜなら、両制度には共通するサービス類型が存在し、同じ事業所が介護保険と障害福祉の両方の指定を受けているケースが多いからだ。介護報酬だけが上がり、障害福祉の報酬が据え置かれれば、事業所は経営合理性から介護保険サービスに人員を集中させる。結果として、障害福祉サービスの担い手が「静かに流出」するリスクがある。
この連動性は、利用者からは見えにくい。しかし、65歳を境に障害福祉サービスから介護保険サービスへの移行を求められる「65歳問題」を抱える当事者にとっては、両制度の報酬バランスが自分の暮らしの質を左右する。介護給付費分科会と障害福祉サービス等報酬改定検討チーム、ふたつの会議体の議論を横断的に追うことが、これまで以上に重要になっている。
同時に、7月1日に開催された介護保険部会の議論にも目を配りたい。介護保険制度の中長期的な方向性が、障害福祉サービスの将来像にも影を落とすからだ。両制度の「共生型サービス」の拡充が進めば、報酬体系の一本化という議論もいずれ浮上するかもしれない。そのとき、障害福祉の独自性——障害特性に応じた個別支援の必要性——がきちんと守られるかどうか。いまから目を離してはいけない論点だ。
「値札」の向こう側にいる人たちのこと

報酬改定は、制度設計者にとっては「財政の持続可能性」の問題であり、事業所にとっては「経営の存続」の問題だ。しかし、その「値札」の向こう側には、必ず一人ひとりの暮らしがある。
冒頭のグループホームの男性は、世話人さんが替わるたびに不安定になり、慣れるまでに何カ月もかかると聞いた。報酬単価が下がって人材が流出すれば、彼の「おはよう」を言う相手がまた変わる。それは数字には表れない、けれど確かに存在するコストだ。
第58回会合の資料や議事録が公開されたら、私たちはそこに並ぶ数字を「何人分の暮らしの話なのか」に翻訳しながら、改めて詳しく報じる予定だ。報酬という名の値札が書き換わる前に、その値札が誰の何を支えているのかを、一人でも多くの人に知ってほしい。制度を決めるのは審議会だが、制度を動かすのは現場であり、制度のなかで生きるのは当事者だから。
小さな「おはよう」が、明日も続くように。私たちは、この議論を追い続ける。
参照元(出典)
- 第58回 障害福祉サービス等報酬改定検討チーム(令和8年7月3日開催)(wam.go.jp)
- 第259回 社会保障審議会 介護給付費分科会(令和8年6月29日開催)(wam.go.jp)
- 社会保障審議会(介護給付費分科会)|厚生労働省(mhlw.go.jp)
- 第135回 社会保障審議会 介護保険部会(令和8年6月29日開催)(wam.go.jp)
- 第135回社会保障審議会介護保険部会の資料について(mhlw.go.jp)
執筆者プロフィール

福祉制度・法律分野に詳しく、事業者や支援者、当事者にとって実践的な記事の執筆を行っている。複雑な制度の背景や目的まで丁寧に読み解くことを得意とする。