「あなたの経験を聞かせてください」——そう言われたとき、私たちは少し身構える。自分の話が、どんなふうに切り取られ、どんな文脈に置かれるのか。それが気になるからだ。まして、自閉症のある人が自分の経験を語るとき、その言葉がどう受け取られるかには、もっと繊細な問題がつきまとう。
Autism-Europeが展開する「Not Invisible」キャンペーンは、自閉症のある人たち自身にストーリーの投稿を呼びかけている。ヨーロッパ40カ国・90以上の団体をつなぐこのネットワークが、なぜ今あらためて「当事者自身の声」を集めようとしているのか。そこには、善意のつもりで誰かの物語を「借りてきた」社会への、静かだけれど確かな問いかけがある。
「見えない存在」にされてきた700万人
Autism-Europeの推計によれば、ヨーロッパには約700万人の自閉症のある人が暮らしている。EU加盟国の人口がおよそ4億5,000万人だから、ざっくり60人に1人。日本でも、文部科学省の2022年の調査で通常学級に在籍する児童生徒の約8.8%に発達障害の可能性があるとされた。自閉症は、決して「珍しい」ことではない。
それなのに、自閉症のある人の声が社会の意思決定に反映される場面は驚くほど少ない。制度設計の場に当事者がいない。メディアに登場するときは「困難を乗り越えた人」か「支援を必要とする人」のどちらかに収められてしまう。「Not Invisible(見えない存在にしないで)」というキャンペーン名が選ばれた背景には、そうした現実がある。
このキャンペーンでは、自閉症のある本人が自分の言葉で体験や意見を発信し、それを政策提言や啓発素材に活かしていくことを目指している。単に「集めて発表する」のではなく、当事者が語りの主体であり続けることに重きを置いている点が特徴だ。
善意が奪うもの
当事者の語りを集めること自体は、新しい試みではない。日本でも、テレビ番組やSNSで障害のある人の体験談が紹介される機会は増えた。けれど、その多くが「困難を乗り越えて頑張る姿」に焦点を当て、視聴者や読者の感動を誘う構成になっていることに、違和感を覚えたことはないだろうか。
故ステラ・ヤングさん(オーストラリアのジャーナリスト・コメディアン)が2014年のTEDxで語った「感動ポルノ(inspiration porn)」という言葉は、まさにこの構造を突いていた。障害のある人の日常が、障害のない人を「元気づける素材」として消費される。そのとき、語った本人の意図や文脈は、しばしば置き去りにされる。
日本でも思い当たる場面は多い。テレビの特集で、自閉症のあるお子さんが一生懸命に何かに取り組む姿が映され、スタジオのタレントが涙ぐむ。視聴者は「感動した」とSNSに書き込む。でも、その子が翌日の学校でどんな配慮を必要としているか、その家族が福祉サービスの申請にどれだけの時間と労力をかけているかは、番組の尺には収まらない。
感動は悪いことではない。でも、感動で終わってしまうと、当事者の暮らしは何も変わらない。むしろ「あんなに頑張っているんだから大丈夫」という誤解が、必要な支援を遠ざけてしまうことすらある。
「語ってもらう」から「自ら語る」へ
DPI(障害者インターナショナル)日本会議は、この原則に基づき、障害のある人が政策決定や社会活動に主体的に参加できる環境づくりを推進してきた。2024年に行われた障害者権利条約の対日審査でも、日本政府に対して「障害者団体との協議を形式的なものにせず、実質的な意思決定への参画を保障すべき」との勧告がなされている。
ストーリーを「語ってもらう」のと、当事者が「語る場を自ら選ぶ」のとでは、まるで意味が違う。前者では、編集権はメディアや支援者の側にある。後者では、何を語り、何を語らないかを決める権利が本人にある。この違いは小さいようで、実はとても大きい。
Autism-Europeのキャンペーンが注目に値するのは、ストーリーの提出にあたって当事者本人の同意プロセスを明確にし、投稿されたストーリーの使用範囲についても事前に説明している点だ。「あなたの話を聞かせてほしい」と言うだけでなく、「聞いた話をどう使うか」まで透明にしようとしている。
語る主体になるために必要な話

もっとも、「自分の言葉で語ってください」と言われても、そう簡単にはいかない人もいる。自閉症のある人の中には、話し言葉でのコミュニケーションが難しい人もいれば、自分の経験を時系列で整理すること自体にエネルギーを要する人もいる。「語れる人」だけがストーリーの主体になれるのだとしたら、それもまた別の「見えなくする」行為になってしまう。
だからこそ、語るための支援——AAC(補助代替コミュニケーション)の活用、信頼できる支援者による聞き取り、本人確認のプロセスを丁寧に踏んだ代弁——が欠かせない。語り方は一つではない。文章でも、絵でも、動画でも、支援者と一緒に言葉を選ぶ形でもいい。大切なのは、最終的にその語りの「持ち主」が本人であり続けることだ。
日本国内でも、こうした取り組みの芽は育ちつつある。当事者研究の手法を取り入れた自助グループや、自閉症のある人自身がライターとして活動するウェブメディアも少しずつ増えている。ただし、それらの多くは個人や小規模な団体の努力に支えられており、継続的な資金や人的リソースの確保が課題だ。
メディアに携わる私たちが問われていること
正直に言えば、この問いは私たち福祉メディアの側にも突きつけられている。
当事者の声を届けたい。でも、記事にするとき、読みやすさや「伝わりやすさ」を優先して、本人の言葉を整えすぎていないか。「こういう結論にした方が読者に届く」と、語りの方向を無意識に誘導していないか。取材後に「あの記事、自分の言いたかったことと少し違った」と思われていないか。
完璧な答えはまだ見つかっていない。でも、少なくとも意識し続けることはできる。原稿を当事者に確認してもらう。見出しのつけ方に本人の意向を反映する。「感動的に仕上げたい」という衝動に気づいたとき、一度立ち止まる。そうした小さな手続きの積み重ねが、語りの主体を守ることにつながるのだと思う。
小さな声が、制度を動かす
Autism-Europeの「Not Invisible」キャンペーンに集まったストーリーは、欧州議会への政策提言資料としても活用される予定だという。一人ひとりの経験が、制度設計の根拠になる。それは、当事者の語りが感動で消費されるのではなく、社会の仕組みを変える力として機能するということだ。
日本でも、障害福祉サービスの報酬改定や制度見直しのたびに、パブリックコメントが募集される。でも、その存在を知っている当事者・家族がどれだけいるだろうか。2024年度の障害福祉サービス等報酬改定に関するパブリックコメントの提出件数は、介護保険と比べても限定的だった。届くべき声が、届くべき場所にまだ届いていない。
だからこそ、「ストーリーを集める」という行為には、集めた先の設計図が必要だ。語ってもらって終わりではなく、その声がどこに届き、何を変えうるのかまでを見通すこと。それが、当事者の語りを「消費」から「参画」に変える鍵になる。
おわりに——あなたの隣にいる「見えない人」のこと
自閉症のある人は、特別な場所にいる特別な人ではない。あなたの職場にいるかもしれないし、子どもの同級生かもしれない。ただ、その人が自分の経験を語る場所が、まだ十分には用意されていないだけだ。
Autism-Europeのキャンペーンは、ヨーロッパの話だ。でも、そこで問われていることは、私たちの足元にもそのままある。「あの人のストーリーを聞きたい」と思ったとき、私たちはまず、聞く準備ができているかを自分に問いかけてみる。感動したいから聞くのか、その人の暮らしを一緒に考えたいから聞くのか。
その問いを持てたなら、たぶん、もう少しだけ「見える」ようになる。
参照元(出典)
- Autism Europe(autismeurope.org)
- ハートネット | NHK(heart-net.nhk.or.jp)
- 私たちの活動 | DPI日本会議(dpi-japan.org)
- 月刊 新ノーマライゼーション | 障害保健福祉研究情報システム(DINF)(dinf.ne.jp)
執筆者プロフィール

主に福祉関連を中心に活動するライター
制度の枠組みから心の機微までを丁寧に言語化する傍ら、暮らしを彩るモノ・コトへの感性も鋭い。専門性の高い記事から、軽やかなエッセイ、実用的なレビューまで、多角的な視点で「日常の価値」を編み直す。