
届いた請求書の向こう側で
毎月届く介護サービスの利用明細を、そのまま引き出しにしまっていないだろうか。あの紙に並ぶ数字の一つひとつは、霞が関のいくつもの会議室で決められている。そして今、その「決め方」そのものが、3つの場所で同時に揺れ動いている。
介護給付費分科会、介護保険部会、そして介護保険制度における預貯金等の把握のあり方に関する検討会——名前だけ見れば、どれも遠い世界の話に思える。だが、この3つの会議が出す結論は、「あなたが来年受けられるサービスの中身」「あなたが毎月払う金額」「あなたの貯金通帳がどこまで見られるか」という、きわめて個人的な問いに直結している。
現場にいた頃、利用者のAさん(80代・独居)がこう言ったのを覚えている。「制度が変わるって聞くたびに、自分のことなのに自分にはわからない話が進んでいく気がする」。あの言葉を思い出しながら、今動いている3つの議論を、暮らしの言葉に翻訳してみたい。
1つ目の会議室——介護給付費分科会:サービスの「単価」が変わる
介護給付費分科会は、介護報酬——つまり、介護サービス一つひとつの公定価格を決める場だ。令和9年度の報酬改定に向けた議論がすでに始まっている。
介護報酬とは何か。たとえば、ホームヘルパーが自宅を訪問して30分の身体介護を行ったとき、事業所に支払われる報酬は現在およそ2,500円前後(地域や加算により変動)。このうち利用者が窓口で払うのは1割から3割、つまり250円から750円程度だ。残りは介護保険から出る。この「単価」が上がれば事業所の経営は安定し、人材確保にもつながる。だが同時に、利用者の自己負担も、保険料の原資も膨らむ。
令和6年度の改定では、訪問介護の基本報酬が引き下げられた一方で処遇改善加算が整理・拡充されるという、現場に波紋を広げた経緯がある。ヘルパーの有効求人倍率は依然として15倍を超え、人手不足は構造的な問題だ。次の改定で基本報酬をどう設計するかは、「そもそもヘルパーが来てくれるのか」という利用者にとって最も切実な問いに直結する。
分科会では、各サービスの経営実態調査の結果をもとに議論が進む。2023年度の調査では、訪問介護事業所の収支差率(いわば利益率)が約マイナス7.8%と全サービス中で最も厳しい水準だった。事業所が赤字を抱え続ければ、撤退が相次ぎ、特に地方や中山間地域では「サービスの空白地帯」が広がりかねない。
報酬改定は数字の話に見えるが、その数字の先には「明日、誰が私の家に来てくれるのか」という一人ひとりの暮らしがある。
2つ目の会議室——介護保険部会:制度の「骨格」が問い直される
介護保険部会は、報酬の単価ではなく、制度そのものの設計を議論する場だ。ここで話し合われているのは、保険料の算定方法、給付の範囲、そして制度の持続可能性という、より大きな枠組みの話になる。
2025年、いわゆる「団塊の世代」が全員75歳以上になった。要介護認定率は75歳を境に急上昇し、75〜79歳で約12%、85歳以上では約60%に達する。一方で、制度を支える現役世代の人口は減り続けている。厚生労働省の推計では、2040年には介護費用が現在の約1.5倍、年間約15兆円規模に膨らむとされる。
介護保険部会で議論されている介護納付金の算定方法の見直しは、この「支え手が減る中で、誰がどれだけ負担するか」という問題に正面から向き合うものだ。現在、40歳以上の国民が支払う介護保険料の全国平均は月額約6,225円(第1号被保険者・第9期)。制度開始時の2000年には月額2,911円だったから、24年間で2倍以上になった計算だ。
部会では、地域包括ケアシステムの深化も議題に上がっている。これは「住み慣れた地域で最期まで暮らし続けられる体制」を目指す構想だが、現実には地域間格差が大きい。都市部ではサービス事業所が集中する一方、過疎地域では通所介護の事業所すら車で30分以上かかるケースがある。「地域ごとのニーズに応じたサービス提供」という美しい言葉の裏には、「あなたの住む町にサービスが残るかどうか」という厳しい問いが横たわっている。
3つ目の会議室——預貯金把握の検討会:「あなたの財布の中身」が問われる
3つ目の検討会は、最も個人の暮らしに踏み込む議論だ。介護保険の自己負担割合(1割・2割・3割)や、施設入所時の食費・居住費の補助(補足給付)を決める際に、利用者の預貯金等の資産をどこまで、どのように把握するかが検討されている。
現在、補足給付の判定では、利用者本人(と配偶者)の預貯金額が一定額を超えると補助が受けられなくなる。単身で1,000万円、夫婦で2,000万円が基準だ。しかし、この金額の申告は自己申告が基本であり、正確な把握が難しいという課題がかねてから指摘されてきた。
マイナンバーを活用した金融機関への照会など、より正確な資産把握の仕組みが検討されている。「公平な負担」という観点からは合理的に見えるが、当事者や家族からは不安の声も上がる。
「夫の介護費用のために少しずつ貯めてきたお金が、かえって負担増の理由にされるのでは」——ある介護家族の会で聞いた声だ。特に、認知症の配偶者を在宅で介護しながら、自分自身の老後資金も確保しなければならない人にとって、預貯金の「線引き」は生活設計そのものを揺るがす。
また、この議論は生活保護制度との接点も持つ。介護保険の負担が重くなった結果、生活保護の申請に至るケースは少なくない。預貯金の把握基準が厳格化されれば、「介護保険の負担増→生活困窮→生活保護」という流れが加速する可能性もある。制度と制度の間で、人が落ちていく隙間を作らないための設計が求められている。
3つの会議室は、1人の暮らしにつながっている
この3つの議論を、冒頭のAさんの暮らしに引き寄せてみよう。
Aさんは週3回、ホームヘルパーの訪問を受けている。月々の自己負担は約8,000円。年金は月12万円で、預貯金は約800万円。持ち家はあるが、築40年で資産価値はほとんどない。
介護給付費分科会の結論次第で、Aさんが受けるサービスの単価が変わる。もし報酬が下がれば、今来てくれているヘルパーの事業所が撤退するかもしれない。介護保険部会の結論次第で、Aさんが毎月払う保険料が上がるかもしれない。年金12万円のうち、保険料と自己負担で2万円を超えれば、食費を削るしかない。預貯金把握の検討会の結論次第で、800万円という「老後の備え」が負担増の根拠にされるかもしれない。
3つの会議室はそれぞれ別の論点を扱っているように見えるが、Aさんの台所のテーブルの上では、すべてが一枚の家計簿に収斂する。
「決める側」と「決められる側」の距離を縮めるために

これらの会議には、学識経験者、自治体関係者、事業者団体の代表などが委員として参加している。当事者や家族の代表も含まれてはいるが、その声が議論全体をどれだけ動かしているかは、議事録を読む限り心もとない場面もある。
制度を持続可能にすることと、一人ひとりの暮らしを守ること。この2つは時に矛盾するように見えるが、本来は同じ目標の両面だ。制度が壊れれば暮らしは守れない。だが、暮らしを壊す制度に持続する価値はない。
今、3つの会議室で同時に動いている議論は、2025年から2027年にかけての介護制度の姿を決定づける。その結論が出る頃には、すでに「決まったこと」として届くだろう。届いてから驚くのではなく、決まる前に知っておくこと。それが、自分の暮らしを自分で守る最初の一歩になる。
Aさんが言った「自分のことなのに自分にはわからない話が進んでいく」という感覚を、少しでも薄くできたなら。この記事の役割は、そこにある。
会議室の扉は、まだ開いている。
参照元(出典)
- 社会保障審議会(介護給付費分科会)|厚生労働省(mhlw.go.jp)
- 第259回社会保障審議会介護給付費分科会(Web会議)を開催します(mhlw.go.jp)
- 第2回介護保険制度における預貯金等の把握等に係る検討の場の開催について(mhlw.go.jp)
- 社会保障審議会(介護保険部会)|厚生労働省(mhlw.go.jp)
- 第135回 社会保障審議会 介護保険部会(令和8年6月29日開催予定)(wam.go.jp)
- 第58回 社会保障審議会 生活保護基準部会(令和8年6月30日開催予定)(wam.go.jp)
執筆者プロフィール

介護や高齢者問題に関する執筆を多数担当。介護に携わる家族や支援者の視点を大切にしながら、現場で役立つ情報をわかりやすく発信している。