たん吸引のチューブを確認しながら、保育園の送迎バスを見送る朝がある。人工呼吸器のアラーム音で夜中に何度も目が覚める夜がある。医療的ケア児とその家族の日常は、制度の文書には載らない細部でできている。いま、その「載らない声」を拾い上げようとする動きが、いくつかの場所で同時に起きている。NHKによる当事者の悩み募集、こども家庭審議会・成育医療等分科会での議論、デジタル庁による市町村こども家庭相談の支援体制整備。三つの動きを一本の線でつないでみると、「声を集める」ことと「制度に届ける」ことの間に横たわる溝の輪郭が見えてくる。
約2万人の暮らしを、まず「見える」ようにする
NHKが現在進めているのは、医療的ケア児やその家族が抱える悩み・困りごとの募集だ。特に注目したいのは、18歳以上になった医療的ケア児——つまり「医療的ケアが必要な大人」の声にも焦点を当てている点である。
厚生労働省の推計によれば、在宅で暮らす医療的ケア児は全国に約2万人。2005年の約1万人から、この十数年でおよそ2倍に増えた。新生児医療の進歩によって救える命が増えた一方で、退院後の暮らしを支える仕組みは追いついていない。2万人という数字は、2万の家庭に毎日のケアがあり、2万通りの「困った」があるということだ。
メディアが当事者の声を募ること自体は珍しくない。けれど、集まった声がどこに届き、何を動かすのか——その経路まで設計されていなければ、声は「集まっただけ」で終わってしまう。NHKの取り組みが持つ意味は、報道を通じて世論を形成し、政策議論に間接的な圧力をかけるところにある。ただし、それは「間接的」であるがゆえに、声の届き方にはどうしてもタイムラグが生まれる。
成育医療等分科会——制度設計の「入口」で何が議論されているか
こども家庭審議会の成育医療等分科会は、母子保健や成育医療に関する政策の方向性を議論する場だ。医療的ケア児支援法(2021年施行)によって、国や自治体に支援の責務が明文化されて以降、この分科会での議論は具体的な施策に直結する重みを増している。
直近の分科会では、医療的ケア児の支援体制の地域間格差や、成人期への移行支援(トランジション)の課題が議題に上がっている。たとえば、医療的ケア児支援センターは各都道府県に設置が進んでいるものの、2024年時点で全都道府県への設置は完了しておらず、設置済みの地域でもコーディネーターの配置人数や専門性にばらつきがある。
ここで問いたいのは、分科会の委員構成に当事者の声がどれだけ反映されているか、という点だ。医療や行政の専門家が並ぶテーブルに、日常的にケアを担う家族や、当事者本人が座っているかどうか。座っていたとしても、専門用語で進む議論の中で対等に発言できる環境が整っているかどうか。「私たちのことを私たち抜きに決めないで(Nothing About Us Without Us)」という障害者権利条約の原則は、こうした審議会の構造そのものに問いかけている。
過去の社会保障審議会の議事録を読むと、当事者委員の発言が「貴重なご意見として承ります」で受け止められ、具体的な制度設計に反映された形跡が見えにくいケースが散見される。声を聴くポーズと、声を制度に組み込むプロセスは、まったく別のものだ。
デジタル庁のこども家庭相談整備——インフラは「届ける」を変えるか

デジタル庁が進める市町村こども家庭相談の支援体制整備は、相談窓口のデジタル化と情報の一元化を柱としている。各自治体に点在する相談窓口の情報をオンラインで横断的にアクセスできるようにし、相談履歴の共有や、支援機関同士の連携を円滑にすることが狙いだ。
この取り組みが医療的ケア児の家族にとって持つ意味は大きい。現状、医療的ケア児の家族が支援にたどり着くまでには、医療機関、保健センター、障害福祉課、教育委員会、児童発達支援事業所など、複数の窓口を自力で回らなければならないことが多い。ある調査では、医療的ケア児の母親の約7割が「どこに相談すればいいかわからなかった経験がある」と回答している。情報の一元化は、この「たらい回し」を減らす可能性がある。
ただし、デジタル化には前提条件がある。日常的にケアに追われる家族が、そもそもオンラインの相談窓口にアクセスする時間と余裕を持てるのかという問題だ。24時間体制でケアを続ける家族にとって、スマートフォンで情報を検索する数分さえ確保が難しい場合がある。デジタルインフラの整備と同時に、アウトリーチ型——つまり支援する側から出向いていく仕組みが不可欠だろう。
また、デジタル化によって相談データが蓄積されれば、どの地域でどんな困りごとが多いのかを可視化できるようになる。これは政策立案のエビデンスとして極めて有用だ。ただし、データの利活用にあたっては、個人情報保護と当事者の同意という繊細な課題がつきまとう。「声をデータにする」ことと「声を大切にする」ことは、慎重に両立させなければならない。
声が消える三つの場所
三つの動きを並べてみると、「声が消えやすい場所」が浮かび上がる。
一つ目は、声を集める段階での偏りだ。メディアの募集に応じられるのは、情報にアクセスでき、言語化する余裕がある家族に限られる。最も困難な状況にある家族ほど、声を上げる余力がない。重症心身障害のある子どもの家族、外国にルーツを持つ家族、ひとり親家庭など、声を届けにくい層の存在を常に意識する必要がある。
二つ目は、声を「エビデンス」に変換する過程だ。審議会で議論されるためには、個別の声が統計データや政策提言の形に加工される必要がある。その過程で、数字に変換しにくい切実さ——「夜中に一人でケアをしているときの孤独」「きょうだい児に我慢させている罪悪感」——が抜け落ちやすい。エビデンスに基づく政策立案(EBPM)は重要だが、エビデンスにならない声をどう扱うかという問いも同時に持ち続けたい。
三つ目は、国の制度と市町村の現場の間にある距離だ。医療的ケア児支援法が施行されても、実際の支援を担うのは市町村であり、その体制は自治体の財政力や人材確保の状況に大きく左右される。人口数万人規模の自治体では、医療的ケア児のコーディネーターを専任で置く余裕がないところも少なくない。制度ができたことと、制度が届くことの間には、まだ大きな開きがある。
声の「地図」を描くということ
NHKの声の募集は「入口」、成育医療等分科会は「設計図を描く場所」、デジタル庁の相談体制整備は「届けるためのインフラ」。この三つがつながったとき、当事者の声が制度に届く一本の道ができる可能性がある。
けれど、道は自然にはつながらない。それぞれの取り組みが別々の省庁・機関で進んでいる以上、意識的につなぐ人や仕組みが必要だ。たとえば、メディアに寄せられた声を分科会の委員が直接読む機会をつくること。相談窓口に蓄積されたデータを、個人が特定されない形で政策議論に活用すること。当事者団体が審議会に参画するだけでなく、議論の設計段階から関わること。
医療的ケア児支援法の附則には、施行後3年を目途に見直しを検討する旨が記されている。2024年がまさにその見直しの時期にあたる。このタイミングで、集められた声がどれだけ制度の改善に反映されるかが、今後の支援の質を左右する分岐点になる。
声を集めることは、始まりにすぎない。集めた声を読み、制度の言葉に翻訳し、予算をつけ、現場に届け、暮らしが少し楽になったかどうかを確認する。その一連のプロセスのどこかで声が消えないように、見守り続けることが、メディアにできる仕事のひとつだと思っている。2万人の子どもたちとその家族の朝が、昨日より少しだけ穏やかになるために。
参照元(出典)
- ハートネット | NHK(heart-net.nhk.or.jp)
- 第9回 こども家庭審議会 成育医療等分科会(wam.go.jp)
- 市町村こども家庭相談に関する支援体制のダッシュボードを公開しました(digital.go.jp)
執筆者プロフィール

児童福祉、発達障害、自閉スペクトラム症(ASD)など、子どもを取り巻く社会課題について執筆を行う。保護者や教育関係者にも伝わりやすい表現を心掛け、一人ひとりの子どもの成長と権利を尊重する視点から情報発信を続けている。