「孤独対策月間」の後に残るもの——キャンペーンが届かない人たちのことを、もう少し考えたい

「孤独対策月間」の後に残るもの——キャンペーンが届かない人たちのことを、もう少し考えたい

孤独対策のキャンペーンが「外に出られること」を前提に設計されていないか、という問いを入口に、障害のある人たちの孤立について考えてみたい。

キャンペーンは誰のために設計されていたか

令和8年5月の「孤独・孤立対策強化月間」は、内閣官房孤独・孤立対策推進室が旗振り役となり、全国の自治体や社会福祉協議会、民生委員・児童委員が連携して展開された。各地でサロンや交流イベントが開かれ、ある自治体では300名を超える参加者が集まったという報告もある。

こうした取り組みが、人と人のつながりを取り戻すきっかけになっていることは間違いない。ただ、参加者の内訳を見ると、気になることがある。多くのイベントが公民館や地域センターで開催され、「来てもらうこと」を前提にプログラムが組まれている。会場のバリアフリー対応、手話通訳や要約筆記の配置、感覚過敏に配慮した環境調整——こうした情報が事前に発信されていたケースは、残念ながらごく一部にとどまる。

つまり、キャンペーンは「外に出られる人」「情報を自分で取りに行ける人」に向けて設計されていた面が大きい。それは悪意ではなく、設計段階で「届かない人がいる」という想像が足りなかっただけだ。だからこそ、来年に向けて今のうちに振り返っておきたい。

「孤独を感じている」と言える人、言えない人

内閣官房が令和6年に実施した「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」では、「孤独感がある」と回答した人は全体の約39.3%にのぼった。この数字は前回調査から微増しており、孤独が一過性の問題ではないことを示している。

では、障害のある人たちはどうか。きょうされん(旧・共同作業所全国連絡会)が実施した生活実態調査では、障害のある人の月の平均外出日数は健常者と比較して大幅に少なく、特にグループホームや入所施設で暮らす人の中には「施設の外に出るのは月に数回」という人も珍しくない。重度の身体障害がある人、精神障害があり体調の波が大きい人、強度行動障害のある人——外出そのものに大きなエネルギーを必要とする人たちにとって、「地域の交流イベントに参加する」というハードルは、私たちが想像するよりずっと高い。

さらに見落とされがちなのは、「孤独を感じている」と自分で認識し、言語化し、誰かに伝えるという行為自体が、すべての人にとって同じ難しさではないということだ。知的障害のある人が「さみしい」という感情をうまく言葉にできないとき、それは「孤独を感じていない」ことにはならない。調査の数字に表れない孤独がある。そのことを、私たちは忘れてはいけないと思う。

「外出支援」の現実——使いたくても使えない制度

障害のある人が外出するための公的な支援として、障害者総合支援法に基づく「移動支援事業」や「同行援護」「行動援護」といったサービスがある。しかし、これらのサービスには自治体ごとに利用条件や上限時間が異なるという大きな課題がある。

たとえば、移動支援事業は市町村の地域生活支援事業に位置づけられており、月の利用上限時間が20時間の自治体もあれば、50時間の自治体もある。さらに、「通勤・通学には使えない」「通院には使えない」といった利用目的の制限がある自治体も多い。「孤独対策のイベントに行きたい」という理由で移動支援を使えるかどうかすら、住んでいる場所によって変わってしまう。

加えて、ヘルパーの人材不足は深刻だ。全国の居宅介護事業所の有効求人倍率は依然として高止まりしており、「制度上は使えるけれど、担い手がいないから使えない」という状況が各地で起きている。利用できる制度があっても、実際にサービスを受けられている人は限られる。ある障害者団体の調査では、移動支援を「希望通りに利用できている」と回答した人は全体の2割に満たなかったという報告もある。

制度はある。でも、制度と暮らしの間には、まだ大きな溝がある。

「来てくれる」支援と、オンラインという選択肢

外に出ることが難しいなら、届けに行けばいい——そう考えて動いている人たちもいる。

たとえば、大阪府のある社会福祉法人では、月間中に訪問型の「おしゃべりタイム」を企画した。ヘルパーが利用者の自宅を訪問し、30分間、支援でも介護でもなく「ただ話す」時間をつくる。制度上の報酬は発生しないため、法人の持ち出しで運営しているが、利用者からは「誰かが来てくれるだけでうれしい」という声があったという。

また、コロナ禍をきっかけに広がったオンライン交流の取り組みも、一部では定着しつつある。NPO法人が運営するZoomを使った当事者サロンでは、全国から毎回20〜30名が参加し、顔を出さなくてもいい、声だけでもいい、チャットだけでもいい、というゆるやかなルールが設けられている。外出が難しい人、対面でのコミュニケーションに不安がある人にとって、オンラインは「つながりの入口」になり得る。

ただし、オンラインにもアクセスの壁はある。スマートフォンやパソコンを持っていない人、操作が難しい人、通信環境が整っていない人——デジタルデバイドの問題は、障害のある人たちの間でより顕著に表れる。総務省の通信利用動向調査によれば、障害者手帳を持つ人のインターネット利用率は全体平均を下回っており、特に65歳以上の障害のある人では利用率がさらに低くなる。オンラインは万能ではない。でも、選択肢の一つとして整備していく価値はある。

「孤独対策」の主語を変えてみる

少し立ち止まって、考えてみたいことがある。

「孤独対策」という言葉の主語は、多くの場合「社会」や「行政」だ。社会が孤独を防ぐ。行政が対策を講じる。もちろん、それは大事なことだ。でも、当事者の側から見たとき、「対策される側」に置かれ続けることは、それ自体がひとつの孤立ではないだろうか。

「私たちのことを、私たち抜きに決めないで(Nothing About Us Without Us)」。障害者権利条約の理念として知られるこの言葉は、孤独対策の設計にもそのまま当てはまる。キャンペーンの企画段階から、障害のある当事者が参加しているか。イベントのチラシは、読みやすいフォントで、ルビつきで、音声読み上げに対応しているか。「参加できない人がいるかもしれない」という前提で設計されているか。

こうした問いを、来年の強化月間に向けて、今から投げかけておきたい。

月間が終わった後の、静かな日常のために

キャンペーンには力がある。社会の関心を集め、予算を動かし、人を巻き込む力がある。でも、キャンペーンが終わった後の364日にこそ、孤独は静かに続いている。

必要なのは、特別な月間だけの盛り上がりではなく、日常の中に「つながりの回路」を埋め込んでいくことだと思う。ヘルパーが訪問したときの何気ない会話。相談支援専門員が「最近どうですか」と電話をかけること。グループホームの世話人が、少しだけ長く食卓にいること。制度の枠には収まらないけれど、そういう小さな接点が、誰かの孤独をほんの少しやわらげている。

孤独対策月間のポスターは剥がされても、あの人の暮らしは続く。来年、同じキャンペーンが巡ってきたとき、「去年より少しだけ届く範囲が広がったね」と言えるように。そのために何ができるかを、月間が終わった今だからこそ、考え始めたい。

私たちの隣にいる誰かの「さみしい」に気づける社会は、きっと、誰にとっても少しだけ暮らしやすい社会だから。

参照元(出典)

  1. トップ – 地域福祉・ボランティア情報ネットワーク(zcwvc.net)
  2. ハートネット | NHK(heart-net.nhk.or.jp)
  3. 第14回 精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会(令和8年7月6日開催)(wam.go.jp)

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