障害者雇用と最低賃金と生活保護——3つの「底」が同時に動く夏、働く障害者の財布はどうなるか

障害者雇用と最低賃金と生活保護——3つの「底」が同時に動く夏、働く障害者の財布はどうなるか

工賃が1万円上がったのに、手取りは3,000円しか増えなかった

ある就労継続支援A型事業所で働く30代の男性から、こんな話を聞いたことがあります。最低賃金の改定で時給が上がり、月の工賃が約1万円増えた。喜んだのも束の間、生活保護の支給額がその分だけ減らされ、実際に手元に残ったお金はわずか3,000円ほどしか変わらなかった——。

「働いても働いても、暮らしが楽にならない」。その言葉が、ずっと頭に残っています。

2023年の夏、この構造に関わる3つの会議が、ほぼ同時期に動き出します。厚生労働省の障害者雇用分科会、中央最低賃金審議会、そして生活保護基準部会。それぞれが別々の会議室で、別々の議題を話し合います。けれど、その結論が降りてくる先は、同じひとりの人の財布です。

3つの「底」——雇用の底、賃金の底、暮らしの底。これらが同時に動くとき、働く障害者の生活にどんな波が起きるのか。制度の仕組みをひとつずつ解きほぐしながら、考えてみたいと思います。

A型とB型、「工賃」の現実を数字で見る

まず、働く障害者の賃金の現状を確認しておきましょう。

厚生労働省の令和4年度の調査によれば、就労継続支援B型事業所の平均月額工賃は約17,031円です。時給に換算すると233円。一方、雇用契約を結ぶA型事業所の平均月額賃金は約81,645円。A型は最低賃金が適用されるため、B型よりは高くなりますが、一般企業のフルタイム勤務と比べれば大きな差があります。

ここで大切なのは、A型とB型では制度上の位置づけがまったく違うということです。

  • A型事業所:利用者と雇用契約を結ぶ。最低賃金法が適用される。ただし短時間勤務が多く、週20時間未満で働く人も少なくない
  • B型事業所:雇用契約を結ばない。最低賃金法の適用外。「工賃」は事業所の生産活動の収益から支払われる

つまり、最低賃金が上がったとき、直接的に影響を受けるのはA型事業所です。B型事業所の工賃は最低賃金とは別の仕組みで決まるため、自動的には上がりません。ここが見落とされがちなポイントです。

全国でA型事業所を利用する人は約8万6,000人、B型事業所は約30万人以上。合わせて約40万人近い人たちの暮らしが、この夏の議論の先にあります。

最低賃金が上がると、何が起きるのか

2023年度の最低賃金について、政府は全国加重平均1,000円の達成を目標に掲げていました。前年度の全国平均は961円でしたから、約40円の引き上げとなれば過去最大級の上げ幅です。

A型事業所で週20時間働く人の場合で計算してみましょう。

  • 改定前(時給961円×週20時間×4.3週):約82,652円/月
  • 改定後(時給1,000円×週20時間×4.3週):約86,000円/月
  • 差額:約3,300円/月

月に3,300円。年間で約4万円。この数字を「たったそれだけ」と見るか、「大きい」と見るかは、その人の暮らしの切迫度によって変わります。

ただし、ここに生活保護の「収入認定」という仕組みが絡むと、話は単純ではなくなります。

「働き損」を生む併給調整の構造

生活保護を受けながらA型事業所で働いている人は、少なくありません。障害基礎年金2級(月約6万6,000円)と工賃を合わせても、地域の最低生活費に届かない場合、その差額が生活保護として支給されます。

ここで重要なのが収入認定の仕組みです。工賃が増えると、その増加分は「収入」として認定され、生活保護費から差し引かれます。ただし、全額が差し引かれるわけではなく、勤労控除という制度があります。

勤労控除の基礎控除額は収入額に応じて段階的に設定されており、例えば月収8万円台であれば約2万円前後が控除されます。つまり、工賃が1万円上がっても、控除の増加分を考慮すると、手元に残るのはそのうちの一部だけです。

冒頭の男性のケースに戻りましょう。工賃が月6万円から7万円に上がったとき、勤労控除の増加分は数千円程度。残りの数千円分は生活保護から減額されます。結果として、「1万円多く働いたのに、手取りは3,000円しか増えない」という現象が起きるのです。

これは制度の欠陥というよりも、生活保護が「最低生活の保障」を目的としている以上、ある意味で当然の帰結です。しかし、当事者の側から見れば、「頑張っても報われない」という感覚を生みやすい構造であることは間違いありません。

生活保護基準の見直しが意味すること

生活保護基準部会では、5年に一度の消費実態に基づく基準の検証が行われます。ここで基準額が引き下げられれば、障害者加算や住宅扶助の水準にも波及する可能性があります。

特に注目すべきは障害者加算です。身体障害者手帳1・2級、または精神障害者保健福祉手帳1級の方には、地域によって月額約15,000円〜26,000円の加算がつきます。この加算が見直されるかどうかは、障害のある人の生活水準に直結します。

また、生活保護基準の引き下げは、保護を受けていない人にも影響します。就学援助の基準、住民税の非課税限度額、国民健康保険料の減免基準など、多くの制度が生活保護基準を参照しているからです。基準の見直しは、社会全体の「底」を動かすことを意味します。

障害者雇用の「質」——数字の裏にある暮らし

障害者雇用分科会で議論されるのは、法定雇用率の引き上げに伴う雇用の「質」の問題です。2024年4月から法定雇用率は2.5%に引き上げられ、2026年7月には2.7%になることがすでに決まっています。

民間企業で働く障害者の数は、2022年6月時点で約61万4,000人と過去最高を更新しました。数の上では着実に前進しています。しかし、その内訳を見ると、週20時間未満の短時間勤務や、契約社員・パートタイムとしての雇用が多く、正社員として安定的に働ける環境が十分に整っているとは言いがたい状況です。

「雇用率を満たすために雇う」のと、「その人が力を発揮できる職場をつくる」のでは、まったく意味が違います。数字の目標を達成することと、ひとりの人が「ここで働いてよかった」と思える環境をつくることは、同じようでいて別の話です。

分科会では、雇用の質を評価する指標の導入や、職場定着支援の強化についても議論が進む見通しです。ここでの議論が、現場の空気をどこまで変えられるか。注視していきたいと思います。

3つの「底」をつなげて見る視点

ここまで見てきたように、障害者雇用・最低賃金・生活保護は、それぞれ別の審議会で、別の専門家が、別のロジックで議論しています。けれど、その結果を受け止めるのは、同じひとりの人です。

最低賃金が上がる。でも生活保護が減る。雇用率は上がる。でも短時間勤務のまま。制度はそれぞれ「改善」に向かっているように見えても、当事者の暮らしの実感としては「何も変わらない」ということが起こりえます。

本当に必要なのは、3つの制度を横断的に見る視点ではないでしょうか。

例えば、こんな仕組みがあったらどうだろうと考えます。工賃が上がった分の一定割合を、一定期間は収入認定から除外する「就労インセンティブ控除」のような制度。あるいは、A型事業所から一般就労への移行期間中は、生活保護の減額を猶予する「移行期保護」のような仕組み。

こうした提案は、すでに一部の研究者や支援団体から出されています。海外では、イギリスのユニバーサル・クレジットのように、就労収入の増加に応じて給付が緩やかに減少する「テーパー率」の仕組みを導入している例もあります。ただし、イギリスでもテーパー率の設定をめぐっては試行錯誤が続いており、日本にそのまま持ち込めるわけではありません。日本の生活保護制度の枠組みの中で、どのような形なら実現可能なのか。その具体的な制度設計の議論が求められています。

「あの人の財布」を想像しながら

制度の話は、どうしても抽象的になりがちです。でも、審議会の資料の向こう側には、毎月の工賃明細を見て、今月は何を買おうか、何を諦めようかと考えている人がいます。

月の工賃が8万円。障害基礎年金が6万6,000円。生活保護の住宅扶助で家賃をまかない、残りで食費、光熱費、通院の交通費、携帯電話代を払う。好きな漫画の新刊を買うかどうかで迷う。友人とファミレスに行くかどうかで迷う。そういう暮らしのことです。

3つの「底」が動くこの夏、私たちに必要なのは、それぞれの制度を個別に追いかけることだけではなく、その交差点に立っている人の暮らしを想像する力だと思います。

制度は、人の暮らしを支えるためにある。その原点を、審議会の委員にも、そしてこの記事を読んでくださっている方にも、思い出してほしい。冒頭の男性が、次に工賃明細を見たとき、少しだけ口元がゆるむような——そんな議論が進むことを願っています。

参照元(出典)

  1. 第140回 労働政策審議会障害者雇用分科会(令和8年7月24日開催)(wam.go.jp)
  2. 令和8年度中央最低賃金審議会目安に関する小委員会(第3回)資料(mhlw.go.jp)
  3. 第59回 社会保障審議会 生活保護基準部会(令和8年7月29日開催)(wam.go.jp)
  4. 全世代型リ・スキリング国民運動に関する第二回有識者会議を開催します(mhlw.go.jp)

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