80歳の「私」を守る国際条約がない──高齢者人権条約はなぜ障害者権利条約から20年遅れたのか

80歳の「私」を守る国際条約がない──高齢者人権条約はなぜ障害者権利条約から20年遅れたのか

「障害のある人」の権利を守る国際条約は、2006年にできた。では「年を取った人」の権利を守る条約は?

世界の60歳以上の人口は約11億人。2050年には21億人に達すると国連は推計している。地球上の4人に1人が「高齢者」になる時代が、あと25年で来る。それなのに、高齢者の人権を包括的に保障する国際条約は、いまだ草案すらまとまっていない。障害者権利条約(CRPD)の採択から数えれば、すでに約20年。この非対称は、偶然ではなく構造的な問題だ。

「高齢者の権利」は、なぜ後回しにされてきたのか

高齢者の権利をめぐる国際的な議論は、2010年に国連総会で「高齢者の権利に関するオープンエンド作業部会(OEWG)」が設置されて本格化したものの、15年近く経った今も条約化には至っていない。その理由はいくつかある。

まず、「高齢者」という概念の曖昧さだ。障害は医学的・社会的に一定の定義が可能だが、「何歳から高齢者か」は文化や制度によって異なる。日本では65歳が一つの区切りだが、アフリカ諸国では50歳を高齢者とする国もある。条約の対象をどう画定するかという入口の議論だけで、膨大な時間が費やされてきた。

次に、既存の人権条約で「十分にカバーできている」という反論が根強いことだ。市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)や経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)は年齢による差別を禁じている。新たな条約は不要だ、という立場を取る国は少なくない。しかし現実には、高齢者への虐待、介護施設での身体拘束、年齢を理由とした医療の差し控えなど、既存の枠組みでは十分に対処できていない問題が山積している。

そして最も根深いのは、エイジズム(年齢差別)が「差別」として認識されにくいという社会の構造だ。WHOが2021年に発表した「エイジズムに関するグローバルレポート」は、世界の2人に1人が高齢者に対する差別的態度を持っていると報告した。「年だから仕方ない」「お年寄りだから無理しなくていい」──善意の衣をまとった排除は、差別として可視化されにくい。

日本障害者協議会(JD)が投げかけた問い

2025年、この議論に新たな動きが生まれている。日本障害者協議会(JD)は、2026年に予定されている高齢者人権条約の作業部会に向けた意見募集に対し、18項目にわたる具体的な提案を提出した。

注目すべきは、JDが「障害者団体」でありながら、高齢者の権利条約に積極的に関与している点だ。その背景には、「高齢障害者」という存在がある。

日本の障害者手帳所持者は約1,160万人(内閣府「障害者白書」令和6年版)。このうち、身体障害者手帳所持者の約7割は65歳以上だ。つまり、障害と高齢は切り離せない。年齢を重ねれば誰もが身体機能の変化に直面し、「障害」と「加齢」の境界は曖昧になる。障害者権利条約が守ってきた権利が、65歳という年齢の線引きで介護保険制度に移行した途端に薄まってしまう──この「65歳の壁」は、日本の福祉現場では長年の課題だ。

JDの提案には、高齢者の法的能力の保障、施設収容からの脱却、地域で暮らす権利の確保など、CRPDの理念と重なる項目が並ぶ。これは「高齢者の権利は障害者の権利の延長線上にある」というメッセージにほかならない。

欧州障害者フォーラムが示す「交差性」の視点

欧州障害者フォーラム(EDF)も、高齢者人権条約の議論に積極的に参加している団体の一つだ。EDFが強調するのは「交差性(intersectionality)」という概念である。

人は一つの属性だけで生きているわけではない。高齢で、障害があり、女性で、移民で、農村部に住んでいる──こうした属性が重なるほど、権利侵害のリスクは高まる。EDFは「年齢にかかわらず、障害のある人々が持つ権利は平等に尊重されるべき」と主張すると同時に、高齢者固有の課題──認知症に伴う意思決定支援、介護者への依存構造、デジタル化による社会参加の障壁──にも目を向けるべきだと訴えている。

この交差性の視点は、日本の福祉現場にも直結する。たとえば、知的障害のある人がグループホームで暮らしながら高齢期を迎えたとき、障害福祉サービスと介護保険サービスのどちらが主体となるのか。現場では「制度の谷間」に落ちるケースが後を絶たない。ある支援員は「利用者さんが65歳になった途端に、これまでの支援計画が白紙に戻るような感覚がある」と語る。国際条約の議論は遠い世界の話に聞こえるかもしれないが、その帰結は一人ひとりの暮らしの質に直結している。

条約ができると、何が変わるのか

「条約ができても、現場はすぐには変わらない」──そう思う人は多いだろう。確かに、障害者権利条約が2014年に日本で批准されてから10年以上が経つが、障害者差別はなくなっていない。しかし、条約の存在は確実に社会を動かしてきた。

障害者差別解消法の制定(2013年)、合理的配慮の義務化(2024年の改正法施行)、そして国連障害者権利委員会による日本への総括所見(2022年)──これらはすべて、CRPDという「ものさし」があったからこそ実現した。条約は、国内法を変え、政策を動かし、社会の意識を変えるための「てこ」になる。

高齢者人権条約ができれば、たとえば以下のような変化が期待される。

  • 介護施設での身体拘束に対して、国際基準に基づく監視メカニズムが機能する
  • 成年後見制度について、「本人の意思決定を代行する」モデルから「本人の意思決定を支援する」モデルへの転換が国際的に求められる
  • 年齢を理由とした医療の差し控え(いわゆる「年齢による治療制限」)が、明確な人権侵害として位置づけられる
  • 高齢者虐待に対する各国の報告義務と審査メカニズムが整備される

これらは、日本の約3,624万人の高齢者(総務省統計局、2024年9月時点)の暮らしに直接かかわる話だ。

2026年の作業部会に向けて

2026年に予定されているOEWGの会合は、条約化に向けた重要な節目になる。ここで各国政府や市民社会がどのような立場を示すかによって、条約の実現可能性は大きく左右される。

日本政府はこれまで、高齢者人権条約に対して慎重な姿勢を取ってきた。「既存の条約で対応可能」という立場に近い。しかし、超高齢社会の最前線にいる日本こそ、条約の議論をリードする立場にあるはずだ。高齢化率29.3%(2024年時点)という数字は、世界のどの国よりも先に「高齢者の人権」という課題に向き合わざるを得ない現実を示している。

JDのように、障害者団体が高齢者の権利条約に声を上げていることの意味は大きい。それは「障害と加齢は地続きである」という認識を社会に広げる行為であり、「自分たちの問題」として引き受ける姿勢の表明でもある。

「年を取ること」が怖くない社会へ

条約の議論は、法律や制度の専門家だけのものではない。誰もが年を取る。誰もが、いつか「高齢者」と呼ばれる側になる。そのとき、自分の尊厳を守る国際的な枠組みがあるかないかは、決して小さな違いではない。

障害者権利条約が「障害は個人の問題ではなく社会の障壁の問題だ」と世界の認識を変えたように、高齢者人権条約は「年を取ることは社会から排除される理由にならない」というメッセージを発信する力を持っている。

11億人の暮らしを守る条約が、ようやく形になろうとしている。20年の遅れは取り戻せないが、これからの一歩は、私たち自身の老いの尊厳を守る一歩でもある。2026年の作業部会で何が議論されるのか、日本からどんな声が届けられるのか。福祉の現場にいる一人として、注視し続けたい。

参照元(出典)

  1. 日本障害者協議会(jdnet.gr.jp)
  2. Homepage – European Disability Forum(edf-feph.org)
  3. 私たちの活動 | DPI 日本会議(dpi-japan.org)

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