
ある入所者の問いから始まった議論
「ここを出て暮らしたいんです。でも、いくらかかるんですか」
障害者支援施設で暮らすある方が、支援員にそう尋ねたとき、即答できる人はいなかったという。家賃、光熱費、ヘルパー代、日中活動の交通費——ひとつひとつは調べればわかる。でも、それを「あなたの場合はこうなります」と具体的に示せる仕組みが、この国にはまだ整っていない。
2024年度に入り回を重ねてきた「障害者の地域生活についても踏まえた障害者支援施設の在り方に関する検討会」。その第5回会合で、まさにこの問い——地域で暮らすには具体的にいくらかかるのか——が正面から議題に据えられた。施設から地域への移行は、長年の政策目標として掲げられてきた。だが「出たほうがいい」という理念と、「出たら暮らせるのか」という現実の間には、まだ深い溝がある。
地域移行のコストを分解する——住まい・ヘルパー・日中活動
地域で暮らすとは、住所が変わることではない。生活を丸ごと組み立て直すことだ。検討会の議論や関連資料から浮かび上がるコスト構造を、三つの柱に分けて見てみたい。
住まいの確保
最初にして最大のハードルが住居だ。グループホームであれば家賃補助(特定障害者特別給付費)が月1万円支給されるが、都市部のグループホームの利用者負担は家賃・食費・光熱水費を合わせて月6万〜9万円程度になることが多い。単身でアパートを借りる場合、東京23区内なら1Kで7万〜8万円台が相場であり、敷金・礼金・保証会社の初期費用だけで家賃の4〜5か月分、30万円前後が一度に必要になる。
障害基礎年金2級の月額は約6万8千円(2024年度)。年金だけでは家賃すら払えない計算だ。生活保護の住宅扶助を組み合わせれば家賃はカバーできるが、「保護を受けてまで出たくない」と感じる人もいる。制度を使うかどうかは本人の選択だが、選択肢を並べて見せてくれる人がいなければ、選びようがない。
ヘルパー(居宅介護・重度訪問介護)
施設では24時間、職員が近くにいる。地域に出れば、その支援を「時間単位」で買うことになる。居宅介護の報酬単価は身体介護で30分あたり約2,500円(1割負担なら250円)、家事援助で45分あたり約1,830円。重度訪問介護を長時間利用する場合、公費負担は月100万円を超えることも珍しくない。
利用者本人の自己負担は所得に応じた上限額(住民税非課税世帯なら月0円、一般世帯でも月3万7,200円が上限)が設定されているため、本人の財布から直接出る金額は抑えられる。しかし、問題は「使える時間数が足りるかどうか」だ。支給決定時間数は市町村の裁量に委ねられており、同じ障害支援区分でも自治体によって月50時間と月200時間の差が出ることがある。これは、ある人にとっては「毎日2時間の見守り」と「毎日7時間の見守り」の違いを意味する。暮らしの安心感がまるで違う。
日中活動と移動
生活介護や就労継続支援B型などの日中活動に通う場合、事業所の利用料は障害福祉サービスの報酬で賄われるが、交通費は自己負担だ。自治体独自のタクシー券やバス割引があっても、月の交通費が1万〜3万円になるケースは多い。工賃収入の全国平均は就労継続支援B型で月約1万7千円(2022年度実績)。交通費を差し引けば手元にほとんど残らない。
これらを合算すると、地域で暮らす障害者の月々の生活コストは、本人負担分だけでも10万〜15万円、公費を含めた社会全体のコストでは月30万〜80万円に達しうる。施設入所支援の報酬単価は障害支援区分6で日額約1万6千円前後、月換算で約48万円。単純な金額比較では「施設のほうが高い」ケースもあるが、検討会ではコストの多寡ではなく「本人が望む暮らしを実現するために必要な投資」として捉えるべきだという意見が相次いだ。
「出たい人が出られない」構造の正体

コストが見えないことは、それ自体が障壁になる。しかし、壁はそれだけではない。検討会の議論からは、少なくとも三つの構造的な問題が浮かんでいる。
第一に、「体験の機会」の不足。施設で長年暮らしてきた人にとって、地域生活は想像の世界だ。体験宿泊や短期間の一人暮らし体験ができるプログラムは一部の自治体にあるが、全国的には広がっていない。「やってみたら意外とできた」という成功体験が、次の一歩を後押しする。その機会が制度として保障されていない。
第二に、受け皿となる住まいの絶対数の不足。グループホームの整備は進んでいるものの、重度障害者を受け入れられるホームは限られる。一般賃貸では大家の理解が得られず断られるケースも依然として多い。国土交通省の調査では、障害者の入居に「拒否感がある」と答えた大家は約7割にのぼる。
第三に、意思決定支援の未成熟。「出たいですか」と聞かれて「はい」と答えられる人ばかりではない。長年の施設生活の中で自分の希望を表明する経験が乏しい人もいる。本人の意思を丁寧に引き出し、選択肢を一緒に考える意思決定支援の質が、地域移行の成否を左右する。検討会では、意思決定支援ガイドラインの実効性を高める方策についても議論が交わされた。
デジタル庁「障害者活躍推進計画」から見える行政の足元
この検討会と同時期に公表されたデジタル庁の障害者活躍推進計画は、行政機関自身が障害者雇用をどう進めるかを示したものだ。直接的には地域移行の話ではないが、ここにひとつの示唆がある。
デジタル庁は、障害のある職員が力を発揮できるよう、業務のデジタル化やテレワーク環境の整備を計画に盛り込んでいる。つまり「環境を変えれば、できることが増える」という前提に立っている。これは地域移行にもそのまま当てはまる。施設の中では「支援がないとできない」とされていたことが、ICT機器や見守りセンサー、オンライン相談の活用によって「一人でもできる」に変わる可能性がある。
ただし、デジタル庁の計画が示す障害者雇用率や合理的配慮の実施状況を見ると、行政機関ですら十分とは言えない現状がある。地域移行を推進する側の足元が揺らいでいては、説得力を持たない。制度を設計する人たちが、まず自分たちの職場で障害者と共に働く経験を積むこと。それが、地域移行の制度設計にリアリティを与えるはずだ。
「いくらかかるか」を示すことは、希望を手渡すこと
冒頭の問い——「いくらかかるんですか」——に戻りたい。
この問いに答えることは、単なる家計シミュレーションではない。「あなたが望む暮らしは、こういう制度を組み合わせれば実現できますよ」と伝えることだ。障害基礎年金と特別障害者手当を合わせれば月約10万円。住民税非課税世帯なら福祉サービスの自己負担はゼロ。家賃補助、自治体独自の手当、生活保護の併用——使える制度を全部並べたとき、「思ったより暮らせるかもしれない」と感じる人は少なくないはずだ。
もちろん、すべての人に地域移行を勧めるべきだとは思わない。施設での暮らしを自ら選ぶ人の意思も尊重されるべきだ。大切なのは、「出たいのに出られない」人がゼロになること。そして、「出られるかどうかわからないから考えたこともない」という人に、考える材料を届けること。
検討会はこの後も続く。コストの可視化がどこまで具体化されるか、体験の機会や住まいの確保にどんな施策が打ち出されるか。施設で暮らす約12万人の一人ひとりに届く議論になっているか、引き続き見ていきたい。
「いくらかかるか」がわかったとき、それは金額ではなく、小さな希望の形をしているかもしれない。
参照元(出典)
- 第5回障害者の地域生活支援も踏まえた障害者支援施設の在り方に係る検討会(資料)(mhlw.go.jp)
- 障害者活躍推進計画に基づく取組の実施状況(令和7年度(2025年度))を掲載しました(digital.go.jp)
- 市町村こども家庭相談に関する支援体制のダッシュボードを公開しました(digital.go.jp)
執筆者プロフィール

福祉制度・法律分野に詳しく、事業者や支援者、当事者にとって実践的な記事の執筆を行っている。複雑な制度の背景や目的まで丁寧に読み解くことを得意とする。