「あなたの話を聞かせてください」。そう呼びかけられたとき、人は初めて「自分の経験には価値がある」と感じられるのかもしれません。
欧州では今、自閉症の当事者に向けて「あなたのストーリーを寄せてください」と呼びかけるキャンペーンが動いています。当事者が取材を「受ける」のではなく、自ら語り、自ら届ける。その仕組みが制度として整いつつあるのです。翻って日本ではどうでしょうか。当事者の声が社会に届く回路は、どこまでできているのでしょうか。「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」——この原則から、いま一度考えてみたいと思います。
欧州で広がる「当事者が主語になる」仕組み
Autism-Europeは、欧州38カ国・約90団体で構成されるネットワークです。EU圏内の自閉症のある人は推定約700万人とされ、その声を政策に届けることを活動の柱に据えています。
現在展開中の「#AutismDay2026」キャンペーンでは、当事者自身のストーリーを公募しています。ここで注目したいのは、「取材させてください」ではなく「あなたの言葉で語ってください」という設計になっている点です。寄せられたストーリーは、キャンペーン素材として欧州議会や各国政府への働きかけに直接使われます。つまり、当事者の語りが「感動エピソード」で消費されるのではなく、政策を動かすための根拠として位置づけられているのです。
実際に、Autism-Europeが主催する国際会議には研究者・支援者・当事者あわせて2,000人以上が参加し、最新の研究発表と並んで当事者セッションが設けられています。また、欧州議会選挙の際には、候補者に対して自閉症の権利保障に関する誓約(Autism Pledge)への署名を求める活動も行われてきました。当事者の声が「届けられる」だけでなく、「届いたかどうかを検証する」仕組みまで用意されている。この一連の設計に、日本との大きな違いがあります。
日本の現状——「聞いてもらえる場」はあるけれど
日本にも、当事者の声を届けようとする取り組みはあります。NHK「ハートネット」は、障害のある人の暮らしや就労に関する体験談を募るカキコミ板やアンケートを設け、番組制作に活かしてきました。DINF(障害保健福祉研究情報システム)は、障害者の社会参加に関する調査研究の情報を幅広く収集・公開しています。
ただ、これらの仕組みを丁寧に見ると、当事者は多くの場合「情報提供者」や「取材協力者」としての役割にとどまっています。語る内容の選び方、編集の仕方、届け先の決定——そうしたプロセスの主導権は、メディアや研究機関の側にあることがほとんどです。
もちろん、それが悪いわけではありません。専門的な編集や文脈の整理があるからこそ、多くの人に届く記事や番組になる面もあります。けれど、「何を語るか」「誰に届けるか」を当事者自身が決められる場は、まだ十分とは言えないのが実情です。
厚生労働省の「障害者差別解消法」に基づく基本方針(2024年改定)でも、障害者の意見を施策に反映する重要性がうたわれています。しかし、パブリックコメントの提出件数を見ると、障害福祉関連の案件でも数十〜数百件程度にとどまることが多く、当事者の声が制度設計に届く回路は細いままです。
個人発信の広がりと、その限界
一方で、SNSやブログを通じた当事者の個人発信は、ここ数年で確実に広がっています。X(旧Twitter)やYouTubeでは、自閉症やADHDの当事者が自らの日常や工夫を発信するアカウントが増え、フォロワー数万人規模のものも珍しくなくなりました。「#発達障害」のハッシュタグには、日々多くの投稿が寄せられています。
こうした個人発信は、同じ境遇の人に「自分だけじゃない」という安心感を届けるうえで、大きな力を持っています。ある自閉症の当事者は、感覚過敏との付き合い方を動画で紹介したところ、「職場で配慮を求めるときに見せたら理解してもらえた」というコメントが寄せられたそうです。当事者の言葉が、別の当事者の暮らしを少し楽にする。そういう小さな循環が生まれています。
けれど、個人発信には限界もあります。継続するには時間も体力も必要です。心ない反応に傷つくこともあります。そして何より、個人の発信だけでは政策や制度を動かす力にはなりにくい。欧州のように、個々の声を集め、束ね、届け先まで設計する「仕組み」がなければ、声は空気に溶けてしまいます。
日本に必要なのは「声を届ける設計図」
欧州と日本の違いは、当事者に「語る意欲があるかどうか」ではありません。語りたい人は、日本にもたくさんいます。違いは、その声を受け止め、社会に届け、政策に反映させるまでの「設計図」があるかどうかです。
日本で当事者発信の仕組みを育てていくために、いくつかの視点が考えられます。
まず、「ストーリーを募集する」文化をつくること。当事者団体やメディアが「あなたの経験を聞かせてください」と継続的に呼びかけ、寄せられた声を丁寧に編集し、発信する場を設けること。一度きりのキャンペーンではなく、日常的に声が集まる仕組みが必要です。
次に、集まった声を政策提言につなげるパイプラインを整備すること。当事者の体験談は、それ自体が貴重ですが、「だからこの制度をこう変えてほしい」という提言に変換されて初めて、社会を動かす力になります。当事者団体と政策の専門家が協働する場が、もっと必要です。
そして、発信する当事者を孤立させないこと。個人で声を上げることのリスクや負担を、組織やコミュニティが分かち合う仕組みがあれば、より多くの人が安心して語れるようになります。
企業のCSR・DEI活動の中で、障害のある社員やステークホルダーの声を経営に反映する動きも少しずつ出てきています。こうした取り組みが「広報のための美談」にとどまらず、組織の意思決定に当事者の視点を組み込む実践になっていくかどうか。ここも注目したいところです。
「聞かせてください」から始まる社会

自閉症のある人の暮らしは、一人ひとり違います。困っていることも、工夫していることも、願っていることも。その多様さを知るためには、たくさんの声が必要です。そして、声を届けてもらうためには、まず「聞かせてください」と言える社会でなければなりません。
欧州の仕組みをそのまま日本に持ち込めるわけではありません。言語や文化、制度の成り立ちが違います。けれど、「当事者の語りを社会の真ん中に置く」という思想は、国境を越えて共有できるはずです。
日本でも、当事者が「語っていいんだ」と思える場所が増えること。その声が、誰かの理解を少し広げ、どこかの制度を少し変えること。大きな変革でなくていい。まずは「あなたの話を聞かせてください」と言える場所を、一つずつ増やしていくこと。それが、私たちにできる最初の一歩なのだと思います。
参照元(出典)
- Autism Europe(autismeurope.org)
- ハートネット | NHK(heart-net.nhk.or.jp)
- ホーム | 障害保健福祉研究情報システム(DINF)(dinf.ne.jp)
執筆者プロフィール

児童福祉、発達障害、自閉スペクトラム症(ASD)など、子どもを取り巻く社会課題について執筆を行う。保護者や教育関係者にも伝わりやすい表現を心掛け、一人ひとりの子どもの成長と権利を尊重する視点から情報発信を続けている。