
ある就労支援員の問いかけ
「リ・スキリングって、うちの利用者さんにも関係あるんですか?」
ある就労移行支援事業所の支援員の一言。政府が掲げる「全世代型リ・スキリング国民運動」。その旗印には「全員参加」と書かれている。けれど、障害のある人たちの暮らしの現場から見ると、その「全員」の輪郭がどうにもぼやけて見える。
リ・スキリング関連の予算は2023年度から5年間で1兆円規模とされ、教育訓練給付の拡充やキャリアコンサルティングの整備が進められてきた。しかし、その施策の多くは「転職を前提としたキャリアアップ」を想定しており、障害のある人が日々の仕事の中でスキルを積み上げていくプロセスとは、どこかかみ合わない。本記事では、障害者雇用分科会の議論、デジタル推進委員の取り組み、そして海外の事例を横断的に見ながら、「取り残されない学び直し」のかたちを考えてみたい。
障害者雇用分科会——「質の向上」は学びの機会とセットになっているか
厚生労働省の「労働政策審議会障害者雇用分科会」では、雇用率の数字だけでなく、雇用の「質」をどう高めるかが繰り返し議題に上がっている。2024年4月には法定雇用率が2.5%に引き上げられ、対象となる企業は従業員40人以上に拡大した。民間企業で働く障害のある人は約64万2,000人(2023年6月時点、厚労省調査)と過去最多を更新し続けている。
数字だけを見れば前進だ。しかし、雇用された後の「学びの機会」はどうか。分科会の資料を読み込むと、議論の中心は雇用率制度の見直しや差別禁止・合理的配慮の強化であり、「障害のある従業員に対するリ・スキリング支援」が正面から取り上げられた形跡はほとんどない。
現場の実態はさらに厳しい。独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)の調査によると、障害のある従業員に対して「計画的なスキルアップ研修を実施している」と回答した企業は全体の2割に満たない。多くの企業では、障害のある社員は採用時に割り当てられた業務を長年続け、新しいスキルを学ぶ機会がないまま据え置かれている。これは「雇用の質」以前に、「成長の機会の不在」という問題だ。
リ・スキリングの文脈で語られる教育訓練給付制度も、利用にはハードルがある。対象講座の多くはオンラインまたは都市部の教室で提供され、移動に困難を抱える人、長時間の受講が難しい人、テキストベースの学習が困難な人にとっては、制度があっても「使えない」状態になりやすい。合理的配慮の提供義務は2024年4月から民間事業者にも拡大されたが、リ・スキリング講座の提供事業者がどこまで対応できているかは、まだ十分に検証されていない。
デジタル推進委員——2万7,000人のネットワークに「アクセシビリティ」の視点はあるか
デジタル庁が推進する「デジタル推進委員」は、デジタルに不慣れな人をサポートする地域の担い手として、2024年時点で全国に約2万7,000人が任命されている。高齢者のスマートフォン操作支援が主な活動として報じられることが多いが、障害のある人への支援はどの程度意識されているだろうか。
デジタル庁が公開している推進委員向けの研修資料を確認すると、障害特性に応じた支援方法——たとえばスクリーンリーダーの使い方、知的障害のある人にわかりやすく伝える工夫、発達障害のある人が集中しやすい環境設定——に関する体系的な研修は見当たらない。推進委員の多くは善意のボランティアであり、「障害のある人から相談があったときにどう対応すればいいかわからない」という声があっても不思議ではない。
そもそも、リ・スキリングの入り口となるオンライン学習プラットフォーム自体のアクセシビリティに課題がある。総務省の「ウェブアクセシビリティ基盤委員会」が定めるJIS X 8341-3(ウェブコンテンツのアクセシビリティに関する日本産業規格)への準拠状況を調べると、主要なリ・スキリング系プラットフォームで「AA」レベルを満たしているものは限られている。動画教材に字幕がない、操作にマウスが必須、色のコントラストが不十分——こうした一つひとつが、障害のある人にとっては「扉が閉まっている」ことと同じだ。
2025年4月に全面施行された改正障害者差別解消法により、民間事業者にも合理的配慮の提供が義務化された。オンライン学習サービスも例外ではない。この法改正を追い風に、プラットフォーム事業者がアクセシビリティ対応を本気で進められるかどうかが、デジタル時代のリ・スキリングの包摂性を左右する。
海外の事例——「届ける仕組み」をどうつくるか

海外に目を向けると、障害のある人のスキル習得を「特別なもの」ではなく「当然の権利」として設計している事例がある。
アメリカ:Project SEARCH
1996年にオハイオ州シンシナティ小児病院で始まった「Project SEARCH」は、知的障害や発達障害のある若者を対象に、企業の現場で9〜12か月間のインターンシップを行うプログラムだ。特徴的なのは、教室での座学ではなく、実際の職場に入り込んで「働きながら学ぶ」モデルであること。ジョブコーチが常駐し、本人の障害特性に合わせた指導を行う。全米700以上の拠点に広がり、プログラム修了者の約73%が競争的雇用(一般企業での雇用)に結びついているとされる。日本でも一部の自治体が導入を始めているが、まだ数か所にとどまる。
企業側にとっても、人手不足が深刻な業種(医療、物流、小売など)で戦力となる人材を発掘できるメリットがある。日本で本格展開するなら、就労移行支援事業所と企業のマッチング機能を強化し、助成金制度と連動させる仕組みが必要になるだろう。
オーストラリア:Disability Employment Services(DES)
オーストラリアの「Disability Employment Services」は、障害のある求職者一人ひとりに専任のコンサルタントがつき、スキル評価から訓練、就職後のフォローアップまでを一貫して支援する制度だ。デジタルスキル研修も組み込まれており、たとえばタブレット操作やデータ入力、オンラインコミュニケーションツールの使い方を、障害特性に応じたペースで学べる。2023年の政府報告書によると、DESを通じて就職した人の26週間後の定着率は約60%。日本の障害者トライアル雇用の定着率と比較しても遜色ない数字だが、注目すべきはスキル習得と就職支援が「分断されていない」点だ。
EU:European Accessibility Act
欧州では2025年6月に「European Accessibility Act(欧州アクセシビリティ法)」が全面施行される。これにより、EU域内で提供されるデジタルサービス——Eラーニングプラットフォームを含む——は、障害のある人がアクセスできる設計であることが法的に求められる。European Disability Forumはこの法律の策定過程で当事者の声を反映させる役割を果たしてきた。日本にはまだこうした包括的なアクセシビリティ法制はなく、JIS規格はあくまで「推奨」にとどまっている部分が大きい。法的な実効性をどう担保するかは、今後の重要な論点になる。
三つの「分断」を越えるために
ここまで見てきて浮かび上がるのは、三つの分断だ。
第一に、政策の分断。リ・スキリング政策は内閣官房・経済産業省・文部科学省が主導し、障害者雇用政策は厚生労働省が所管する。デジタルアクセシビリティはデジタル庁と総務省。それぞれの審議会や有識者会議が別々に動いており、「障害のある人のリ・スキリング」という横断的なテーマを正面から扱う場がない。
第二に、現場の分断。就労移行支援事業所はハローワークとの連携は進んでいるが、民間のリ・スキリング講座や大学のリカレント教育プログラムとの接点はほとんどない。障害のある人の「学び直し」の選択肢が、福祉の枠の中に閉じてしまっている。
第三に、想像力の分断。リ・スキリングを推進する側が、「受講者の中に障害のある人がいるかもしれない」という前提で制度を設計していない。これは悪意ではなく、単に想像が及んでいないだけだ。だからこそ、当事者の声を政策立案の場に届ける回路が必要になる。
小さな希望の芽を見つける
悲観的な話ばかりではない。2024年度から、一部の就労継続支援A型事業所がIT企業と連携し、利用者向けのプログラミング基礎講座を始めた事例がある。受講者の一人は、「自分にもできることが増えるのがうれしい。次はウェブデザインをやってみたい」と話していたという。
また、デジタル推進委員の中にも、手話ができる委員や、知的障害のある人との関わり経験を持つ委員が少しずつ増えている。制度が追いつく前に、現場の人たちが自分の持ち場で橋を架け始めている。
「全員参加」という言葉が本当の意味で実現するには、制度の設計段階から障害のある当事者が参画すること、そしてリ・スキリングの「入り口」——プラットフォーム、教材、受講環境——にアクセシビリティを組み込むことが欠かせない。それは特別な配慮ではなく、「全員」の中に最初から含まれているべき視点だ。
政策の分断を越えて、福祉と教育と雇用がつながる場所に、次の一歩がある。その一歩を踏み出すのは、大きな制度改革だけではない。「うちの利用者さんにも関係あるんですか?」と問いかけた、あの支援員のような人たちの声が届くことから始まるのだと思う。
参照元(出典)
- 全世代型リ・スキリング国民運動に関する第二回有識者会議を開催します(mhlw.go.jp)
- 第140回 労働政策審議会障害者雇用分科会(令和8年7月24日開催)(wam.go.jp)
- デジタル推進委員オンラインコミュニティ登録マニュアルを更新しました(digital.go.jp)
- Homepage – European Disability Forum(edf-feph.org)
執筆者プロフィール

福祉制度・法律分野に詳しく、事業者や支援者、当事者にとって実践的な記事の執筆を行っている。複雑な制度の背景や目的まで丁寧に読み解くことを得意とする。