介護保険制度、知っていますか?——認知症「予防」の時代に、この制度はどこまで応えられるのか

介護保険制度、知っていますか?——認知症「予防」の時代に、この制度はどこまで応えられるのか

「認知症のリスクの45%は、予防できるかもしれない」

2025年6月、世界保健機関(WHO)が公表した認知症リスク軽減ガイドラインの改訂版は、世界中に大きなインパクトを与えました。運動、禁煙、社会的なつながり、聴力ケア——。私たちの日常の中にある「ちょっとした選択」が、将来の認知症リスクを大きく左右するというのです。

このニュースを聞いて、「じゃあ、日本ではどんな支援が受けられるの?」と思った方もいるのではないでしょうか。その答えの中心にあるのが、介護保険制度です。

でも、この制度のこと、実はよく分からないという方も多いはず。今回は「介護保険制度って何?」という基本から、その歴史、海外との比較、そして「予防」という新しい課題にどこまで対応できているのかを、一緒に考えてみたいと思います。

1. この制度って何?——介護保険制度をゼロから解説

「介護が必要になったとき、社会全体で支える」仕組み

介護保険制度は、2000年(平成12年)にスタートした日本の社会保険制度のひとつです。ひとことで言えば、「介護が必要になった高齢者を、家族だけでなく社会全体で支えましょう」という仕組みです。

対象となるのは、原則として65歳以上の方(第1号被保険者)。40〜64歳の方(第2号被保険者)も、特定の疾病(初老期の認知症や脳血管疾患など16疾病)が原因で介護が必要になった場合には利用できます。

利用の流れをざっくり整理すると、こうなります。

  1. 市区町村に申請する
  2. 要介護認定の調査を受ける(訪問調査+主治医の意見書)
  3. 認定結果が出る(要支援1〜2、要介護1〜5の7段階)
  4. ケアマネジャーと一緒にケアプランを作る
  5. サービスを利用する(自己負担は原則1〜3割)

利用できるサービスは多岐にわたります。自宅で受けられる訪問介護やデイサービス、特別養護老人ホームなどの施設サービス、福祉用具のレンタルや住宅改修まで。2023年度の介護保険の総費用は約13.5兆円に達しており、制度開始時(約3.6兆円)の約3.7倍にまで膨らんでいます。

「予防」の位置づけ——介護予防・日常生活支援総合事業

2006年の制度改正で「介護予防」の考え方が導入され、要支援1・2の方を対象にした介護予防サービスが始まりました。さらに2015年からは介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)が各市区町村に移管され、地域ごとに体操教室、サロン活動、見守りサービスなどが展開されています。

ただし、ここで重要なのは、介護保険制度の「予防」は基本的に「すでに要支援状態にある人が、要介護状態にならないようにする」という位置づけだということ。WHOが言う「認知症にならないための予防」——つまり、まだ元気な人への働きかけ——とは、少しレイヤーが違うんですよね。

2. なぜこの制度は生まれたのか——「介護地獄」という言葉があった時代

介護保険制度が生まれる前、日本の高齢者介護はどうだったのか。それを知ると、この制度の意味がより深く理解できます。

家族介護の限界

1990年代、日本では「介護地獄」「介護離職」「老老介護」という言葉がメディアに頻繁に登場していました。介護の担い手の多くは家族——とりわけ嫁や娘で、介護疲れによる虐待や心中事件も社会問題になっていました。

当時の高齢者福祉は「措置制度」と呼ばれる行政主導の仕組みで、利用者がサービスを選ぶことはできず、行政が「この人にはこのサービスを」と決めていました。また、特別養護老人ホームに入るには所得制限があり、中間層は制度の谷間に落ちてしまう構造的な問題もありました。

「社会化」への転換

こうした背景から、1997年に介護保険法が成立し、2000年に施行されました。この制度の画期的だった点は、大きく3つあります。

  • 社会保険方式を採用し、40歳以上の全国民が保険料を負担する仕組みにしたこと
  • 利用者がサービスを選べる「契約制度」に転換したこと
  • 民間事業者の参入を認め、サービスの多様化を図ったこと

「介護は家族がするもの」から「社会全体で支えるもの」へ。この転換は、日本の福祉政策における歴史的な転換点でした。

3. 海外ではどうしているか——「予防」と「介護」のつなぎ方

日本の介護保険制度は、世界的に見ても先進的な仕組みとして評価されています。しかし、「予防」の位置づけについては、海外の取り組みから学べることが少なくありません。

イギリス——「少しの動きでも価値がある」という発想

イギリスでは、2024年に首席医務官(CMO)が身体活動ガイドラインを改訂し、「どんな小さな動きでも健康に寄与する」というメッセージを前面に打ち出しました。従来の「週150分の中等度運動」という目標はハードルが高いと感じる人が多かったため、「まず座っている時間を減らすことから」という段階的なアプローチに転換したのです。

また、イギリスの介護品質委員会(CQC)は、介護施設の監査にリスクベースのアプローチを導入しています。すべての施設を一律に調査するのではなく、リスクの高い施設に重点的に資源を投入し、質の高い施設にはより大きな裁量を認める仕組みです。

ドイツ——介護保険の「先輩」が直面する課題

ドイツは日本より5年早い1995年に介護保険制度を導入した「先輩」です。ドイツの制度は現金給付(家族が介護する場合に現金を支給)の選択肢がある点が特徴的ですが、近年は予防への投資を強化しています。2015年の介護強化法では、認知症の方への給付が大幅に拡充され、身体的な介護だけでなく、認知面・心理面のケアも評価の対象になりました。

デンマーク——「予防こそ最大の福祉」

北欧のデンマークでは、75歳以上のすべての高齢者に対して自治体が予防的家庭訪問を行う制度があります。介護が必要になる「前」の段階で、保健師や看護師が自宅を訪問し、健康状態や生活環境をチェックする。これは、介護保険の「申請主義」——つまり「困ったら自分で申請してね」という日本の仕組みとは対照的です。

こうして比較してみると、日本の介護保険制度が「介護が必要になった後」に手厚い一方で、「なる前」の支援は制度的に薄いという構造が見えてきます。

4. 私たちが考えなくてはいけないこと——「予防」と「介護」の断絶をどう埋めるか

制度の「谷間」にいる人たち

WHOのガイドラインが示す認知症予防策——運動、社会参加、禁煙、聴力ケア——は、どれも「まだ元気な人」に向けたものです。しかし、日本の介護保険制度は原則として「要介護認定を受けた人」が対象。つまり、最も予防が効果的な段階にいる人たちが、制度の「谷間」に置かれているのです。

地域の総合事業で体操教室やサロンを運営している自治体もありますが、その内容や質は自治体によって大きな差があります。厚生労働省の調査によれば、総合事業の利用者数は年々増加傾向にあるものの、対象者全体に対するカバー率はまだ十分とは言えません。

「自己責任」にしない仕組みづくり

「予防は自分の努力次第」——そんなふうに思われがちですが、それは本当でしょうか。

運動をしたくても、近くに安全に歩ける道がない地域があります。社会的なつながりが大切だと分かっていても、交通手段がなくて外出できない高齢者がいます。聴力の低下が認知症リスクを高めると言われても、補聴器は保険適用外で片耳15〜30万円。経済的に手が届かない人も少なくありません。

認知症予防を「個人の生活習慣の問題」に矮小化せず、社会的な環境整備として捉え直すこと。これが、WHOのガイドラインが本当に伝えたいメッセージなのではないかと思います。

これからの介護保険制度に求められること

2025年は、いわゆる「団塊の世代」がすべて75歳以上になる年です。認知症の方の数は2025年時点で約700万人に達するとも推計されています。介護保険の財政は年々厳しさを増し、保険料の全国平均は制度開始時の月額2,911円から、2024〜2026年度には月額6,225円にまで上昇しました。

この状況で、「予防に投資することが、結果的に介護費用を抑える」という発想への転換は不可避です。しかし、それは単にコスト削減のためではなく、一人ひとりが自分らしく暮らし続けるためのものであるべきです。

具体的に求められるのは、たとえばこんなことです。

  • 介護保険と医療保険、健康増進施策の連携強化——予防と介護を別々の制度で扱うのではなく、切れ目のない支援体制をつくる
  • 予防的家庭訪問の制度化——デンマークのように、元気なうちからの「アウトリーチ型」支援を広げる
  • 補聴器や運動環境の経済的支援——予防に必要なツールへのアクセスを保障する
  • 地域ごとの取り組みの「見える化」——総合事業の質と量を比較できる仕組みをつくり、好事例を共有する

読者のみなさんへ

介護保険制度は、私たちの暮らしに最も身近な福祉制度のひとつです。40歳になれば保険料を払い始め、いつか自分や家族が使うかもしれない。でも、「申請しなければ使えない」「予防の段階では対象外」という制度の構造を知っている人は、どれくらいいるでしょうか。

WHOが「認知症リスクの45%は予防可能」と言うとき、それは私たち一人ひとりの生活習慣の話であると同時に、社会がどんな仕組みで人々の健康を支えるかという問いでもあるのです。

「予防できるのに、支援が届かない」——そんな状況を変えるために、まずはこの制度のことを知ることから始めてみませんか。

もう少し知りたい方へ

参照元(出典)

  1. Newsroom | World Health Organization(who.int)
  2. 令和8年度 全国介護保険担当課長会議資料(mhlw.go.jp)
  3. Department of Health and Social Care – GOV.UK(gov.uk)

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