
たった30cmが、ある人の「外出できる朝」をつくる
朝8時、駅までの道。歩道の幅は約1.5m——と書けば十分に思えるかもしれません。けれど、その歩道の真ん中に電柱が1本立っていたらどうでしょう。電柱の直径はおよそ30〜40cm。さらに支線や変圧器のボックスが張り出せば、実質的な通行幅は80cmほどにまで縮まります。JIS規格の標準的な車いすの幅はおよそ63cm。すれ違いどころか、まっすぐ進むことすらぎりぎりです。
2025年4月、国土交通省は「第3次無電柱化推進計画(案)」に対するパブリックコメントの募集を開始しました。計画期間は2026年度から2030年度までの5年間。防災・景観・通行安全の3つを柱に、全国で新たに約4,000kmの無電柱化を目指すとされています。この計画が動き出せば、電柱が消えた歩道に30〜40cmの余白が生まれます。数字にすればわずかな幅。でもそれは、車いすユーザーにとって「迂回しなくていい朝」であり、白杖を使う視覚障害者にとって「ぶつからずに歩ける通学路」です。
今回は、この無電柱化推進計画をバリアフリーの視点から読み解き、障害当事者の暮らしにどんな変化をもたらしうるのかを考えます。
日本の電柱は約3,500万本——世界でも突出した「電柱大国」の現在地
まず、現状を確認しましょう。国土交通省の資料によると、日本全国の電柱は約3,500万本。毎年約7万本が新設され、無電柱化のペースを上回って増え続けている年もありました。ロンドンやパリの無電柱化率がほぼ100%、ソウルでも約50%に達しているのに対し、東京23区でわずか8%程度、大阪市で約6%。全国平均ではさらに低い水準です。
第2次計画(2021〜2025年度)では約2,400kmの整備が目標でしたが、進捗は必ずしも順調とはいえません。理由は明確で、1kmあたりの整備費用が約5.3億円(電線共同溝方式の場合)と高額であること、そして地上機器の設置場所の確保や関係事業者との調整に時間がかかることです。第3次計画で掲げられた4,000kmという目標は、コスト縮減技術の導入や新たな整備手法の活用を前提にしたものですが、それでも総事業費は数兆円規模になると見込まれます。
この巨額の投資を「景観のため」とだけ語るのは、あまりにもったいない。無電柱化がもたらす恩恵のうち、最も日常的で、最も切実なものの一つが「歩道のバリアフリー化」だからです。
電柱がなくなると、何が変わるのか——3つの具体的な場面

場面1:車いすユーザーの「駅までの10分」
車いすで外出する人にとって、電柱は「点」の障害物ではなく「線」の障壁です。1本の電柱を避けるために車道側に膨らみ、その先にまた電柱があれば再び車道へ。歩道と車道の段差を何度も乗り越えなければならず、体力的にも精神的にも消耗します。電動車いすの場合、バッテリー消費にも影響します。無電柱化された歩道では、こうした迂回がなくなり、移動距離も時間も短縮されます。ある当事者団体の調査では、電柱のある区間とない区間で移動時間に最大1.5倍の差が出たという報告もあります。
場面2:視覚障害者の「ぶつからない通学路」
白杖歩行をする視覚障害者にとって、電柱の支線(斜めに張られたワイヤー)は特に危険です。地面近くから斜めに伸びるため白杖では検知しにくく、顔や体にぶつかる事故が後を絶ちません。電柱が撤去されれば支線も消え、点字ブロックの連続性も確保しやすくなります。
場面3:ベビーカーと車いすの「すれ違い」
無電柱化は障害者だけの話ではありません。ベビーカーを押す親、シルバーカーを使う高齢者、キャリーケースを引く旅行者——歩道の幅が広がることで、「すれ違えない歩道」が「すれ違える歩道」に変わります。これはユニバーサルデザインの本質そのものです。
計画案に「バリアフリー」の文字はあるか——当事者参画の現在地
第3次計画案の重点項目を見ると、「防災」「安全・円滑な交通確保」「景観形成」が三本柱として掲げられています。「安全・円滑な交通確保」の中にバリアフリーの視点は含まれてはいますが、障害当事者の声をどのように計画策定に反映したかについて、具体的なプロセスの記述は限定的です。
ここに、一つの構造的な課題があります。無電柱化の所管は国土交通省道路局。一方、障害者施策の総合調整は内閣府、福祉サービスは厚生労働省、バリアフリー法の運用は国土交通省の総合政策局。同じ省内でも部局が異なり、「電柱を抜く計画」と「歩道をバリアフリーにする計画」が別々のテーブルで議論されがちです。
障害者権利条約の一般的意見第2号は、アクセシビリティを「権利の実現のための前提条件」と位置づけています。「私たちのことを私たち抜きに決めないで(Nothing About Us Without Us)」の原則に立てば、無電柱化の路線選定や設計段階から、車いすユーザーや視覚障害者が参画する仕組みが必要です。パブリックコメントは参画の入口の一つですが、それだけでは十分とはいえません。計画の策定委員会への当事者委員の参加、整備後のモニタリングへの当事者関与など、より実質的な参画の仕組みが求められます。
地上機器という「新しい障害物」——無電柱化の落とし穴
無電柱化を手放しで歓迎できない理由もあります。電線を地中に埋設すると、変圧器などの地上機器(トランスボックス)を歩道上に設置する必要があります。このボックスの大きさは、幅約1m、奥行き約0.5m、高さ約1m程度。電柱がなくなっても、代わりにこの箱が歩道を占有すれば、バリアフリー効果は半減します。
国土交通省はコンパクト化や民地内への設置を推進していますが、現場では地権者の同意が得られず歩道上に置かざるを得ないケースも少なくありません。設計段階で車いすの通行幅(最低90cm、できれば120cm以上)を確保するルールを明確にし、地上機器の配置計画にバリアフリー基準を組み込むことが不可欠です。
デジタル技術との接続——「物理的なバリアフリー」の先へ
デジタル庁が進めるデジタル関係制度改革の中には、地理空間情報の整備やオープンデータの推進が含まれています。無電柱化の進捗情報がオープンデータとして公開されれば、ナビゲーションアプリと連携し、「この道は無電柱化済みで歩道幅2m以上」といったバリアフリー経路案内が可能になります。
すでに一部の自治体では、歩道の段差や勾配をデータ化してバリアフリーマップを公開する取り組みが始まっています。無電柱化の整備データがこうしたマップに統合されれば、車いすユーザーが「今日はどの道を通れば安全か」をスマートフォンで確認できる未来が近づきます。物理的なインフラ整備とデジタル情報基盤の整備は、別々の施策ではなく、一人の人の「外出」という行為の中でつながっているのです。
パブリックコメントという「小さな声の入口」
第3次無電柱化推進計画へのパブリックコメント募集は、障害当事者やその家族、支援者にとって、計画に声を届ける具体的な機会です。「うちの前の歩道は電柱があって車いすで通れない」「通学路の支線で子どもが怪我をした」——そうした一つひとつの声が、路線選定の優先順位を変える力を持っています。
ただし、パブリックコメントの提出には一定のハードルがあることも事実です。計画案の文書は専門的で分量も多く、視覚障害者がアクセスしやすい形式で提供されているかも確認が必要です。「意見を届けてください」と言うなら、届けられる環境を整えることが行政の責任です。
電柱が消えた朝の風景
最後に、一つの風景を想像してみたいと思います。
朝8時。駅までの道。歩道の幅は2m。電柱はなく、点字ブロックがまっすぐに続いている。車いすの女性と、ベビーカーを押す男性が、自然にすれ違う。白杖の高校生が、迷わず改札へ向かう。誰も「ありがとう」と言わなくていい。誰も「すみません」と言わなくていい。ただ、当たり前に朝が始まる。
無電柱化は、電柱をなくす事業ではありません。誰かの朝に「当たり前」を届ける事業です。第3次計画がその視点を持てるかどうか。それは、今まさに届けられる一通のパブリックコメントにかかっているのかもしれません。
関連情報:第3次無電柱化推進計画(案)に対するパブリックコメントは国土交通省ウェブサイトで受付中。障害当事者・家族・支援者の声が計画に反映される貴重な機会です。
参照元(出典)
- 「第3次無電柱化推進計画(案)」に対する意見の募集について(public-comment.e-gov.go.jp)
- 障害者施策|政策統括官(共生・共助担当)- 内閣府(www8.cao.go.jp)
- 私たちの活動 | DPI日本会議(dpi-japan.org)
- デジタル関係制度改革検討会(第10回)を開催しました(digital.go.jp)
執筆者プロフィール

主に福祉関連を中心に活動するライター
制度の枠組みから心の機微までを丁寧に言語化する傍ら、暮らしを彩るモノ・コトへの感性も鋭い。専門性の高い記事から、軽やかなエッセイ、実用的なレビューまで、多角的な視点で「日常の価値」を編み直す。