
「役所の窓口で何時間も待って、何枚も同じことを書いて、やっと申請が終わった」。障害福祉サービスを利用している方やそのご家族から、こうした声を聞くことは少なくありません。障害者手帳の申請、自立支援給付の更新、介護保険の認定申請——福祉に関わる手続きは種類が多く、そのたびに窓口へ足を運ぶ負担は小さくないものです。
いま、デジタル庁が推進する「窓口DX」という取り組みが、こうした手続きの風景を変えようとしています。窓口DXとは何なのか、福祉の現場にどんな影響があるのか、そして誰にとっての「便利」なのかを、丁寧に見ていきます。
窓口DXって何?
「窓口DX」とは、自治体の窓口業務をデジタル技術で改善する取り組みの総称です。DXは「デジタルトランスフォーメーション」の略で、単にパソコンやタブレットを導入するだけでなく、業務の流れそのものを見直して、住民にとっても職員にとっても負担を減らそうという考え方が根底にあります。
デジタル庁は2022年度から「窓口DXSaaS」という仕組みの実証を進めてきました。具体的には、次のような機能が想定されています。
- 書かない窓口: マイナンバーカードを読み取ることで、氏名・住所・生年月日などが自動入力され、申請書を手書きする必要がなくなる
- 回らない窓口: 複数の部署にまたがる手続きを一つの窓口で完結させる
- 行かない窓口: オンラインで申請・届出ができるようにする
たとえば北海道北見市では、引っ越しに伴う手続きで「書かない窓口」を先行導入し、住民の記入負担を大幅に減らした実績があります。デジタル庁は2024年度にも全国の自治体への横展開を進めており、先日開催された「共創PFキャンプin道東」でも、こうした窓口改革の現状が共有されました。
なぜ窓口DXが必要とされているのか
窓口DXが注目される背景には、長年にわたる「申請主義」の壁があります。
日本の福祉制度の多くは、利用者自身が申請しなければサービスを受けられない仕組みになっています。障害福祉サービスを例にとると、サービスの利用を開始するまでに、おおまかに次のようなステップが必要です。
- 市区町村の窓口で申請書を提出する
- 認定調査を受ける
- サービス等利用計画案を作成する
- 支給決定を受ける
- 事業者と契約する
この過程で、申請書類への記入、医師の診断書の添付、本人確認書類のコピーなど、多くの書類作業が発生します。身体障害のある方にとっては窓口への移動自体が大きな負担ですし、知的障害や精神障害のある方にとっては、複雑な書類を理解し記入すること自体が高いハードルになります。
さらに、自治体ごとに申請様式や必要書類が異なるケースも多く、転居するたびにゼロから手続きをやり直す苦労もあります。こうした「申請の壁」を少しでも低くしたいという現場の切実なニーズが、窓口DXの推進力になっているのです。
運用の実際——自治体によって進み方はまちまち

窓口DXの理念は明快ですが、実際の導入状況は自治体によって大きな差があります。
デジタル庁の公表資料によれば、2024年3月時点で窓口DXSaaSの導入・検討を行っている自治体は約200団体にのぼります。しかし、全国には約1,700の市区町村があることを考えると、まだ全体の1割強にとどまっている状況です。
導入が進んでいる自治体でも、対象となる手続きは住民異動届(転入届・転出届など)が中心で、障害福祉サービスの申請や障害者手帳の交付申請といった福祉分野の手続きにまで「書かない窓口」が広がっている例はまだ限られています。福祉の申請は、医師の意見書や所得証明など添付書類が多く、単純な情報の自動入力だけでは完結しにくいという事情があります。
また、現場の職員体制も課題です。小規模な自治体では、福祉の窓口を担当する職員が数名しかおらず、新しいシステムの習熟に時間を割く余裕がないという声もあります。システムを導入しても、それを使いこなせる人がいなければ、かえって混乱を招くことになりかねません。
一方で、先進的な取り組みも生まれています。群馬県前橋市では、マイナンバーカードを活用した「まえばしID」を基盤に、福祉を含む幅広い行政手続きのオンライン化を進めています。こうした事例が他の自治体にどう波及していくかが、今後の注目点です。
デジタル化が届きにくい人たちのこと
窓口DXの議論で忘れてはならないのは、デジタル化の恩恵を受けにくい人たちの存在です。
総務省「令和4年通信利用動向調査」によれば、障害のある人のインターネット利用率は、障害のない人と比べて低い傾向にあります。特に、視覚障害のある方がスクリーンリーダーで操作できないウェブフォーム、聴覚障害のある方が電話でしか問い合わせできない窓口、知的障害のある方にとって複雑すぎるUI(ユーザーインターフェース)——こうした「デジタルの壁」は、紙の壁とは別の形で立ちはだかります。
ここで重要になるのが「情報アクセシビリティ」の考え方です。2024年4月に改正障害者差別解消法が施行され、民間事業者にも合理的配慮の提供が義務化されました。行政のデジタルサービスにおいても、JIS X 8341-3(ウェブアクセシビリティの日本産業規格)への準拠が求められています。しかし、実際にはこの規格を十分に満たしている自治体サイトはまだ多くありません。
デジタル化を進めることと、対面や紙の手続きを残すことは、二者択一ではないはずです。大切なのは、デジタルを「選べる」ようにしつつ、従来の方法も「選べる」状態を維持すること。どちらか一方に寄せてしまえば、必ず取り残される人が出てきます。
私たちが考えなくてはいけないこと
窓口DXは、福祉の申請手続きを楽にする大きな可能性を持っています。何度も同じことを書かなくていい、窓口をたらい回しにされなくていい、自宅から申請できる——これらが実現すれば、多くの人にとっての負担は確実に減ります。
しかし同時に、いくつかの問いが残ります。
「便利になる」のは誰にとってか。 デジタル機器を日常的に使える人にとっては便利でも、そうでない人にとっては新たな排除になりかねません。窓口DXの設計段階から、障害当事者や高齢者の声を取り入れるプロセスがあるかどうかが問われます。
申請しなければ届かない仕組みそのものはどうか。 窓口DXは手続きの「やり方」を改善するものですが、そもそも「申請しないと受けられない」という制度の枠組み自体は変わりません。本当に届けたい人に届けるためには、行政側からの「プッシュ型」の情報提供や、申請を待たずに支援につなげる仕組みも合わせて考える必要があります。
個人情報の取り扱いは安心できるか。 マイナンバーカードを基盤としたシステムでは、医療・福祉・所得などの情報が紐づけられていきます。利便性の裏側にあるプライバシーリスクについて、利用者が理解し、納得した上で使える環境づくりが欠かせません。
デジタル化は手段であって、目的ではありません。「誰もが必要な福祉に、無理なくたどり着ける」という目的に照らしたとき、窓口DXがその一歩になっているかどうか。制度が変わるタイミングだからこそ、私たち一人ひとりが関心を持って見ていくことが大切なのだと思います。
もう少し知りたい方へ
- デジタル庁「窓口DXSaaS」紹介ページ(https://www.digital.go.jp/policies/dx_for_gov_counter):窓口DXの概要や導入自治体の事例が掲載されています
- 総務省「令和4年通信利用動向調査」(https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/statistics/statistics05.html):障害のある方を含む国民のインターネット利用状況の統計データが確認できます
参照元(出典)
- 共創PFキャンプin道東~窓口DXのいまを知る編~を開催しました digital.go.jp
- 令和8年度 病院情報システム等の刷新に向けた協議会の構成員が決定しました digital.go.jp
- 共創PFキャンプinデジタル庁~疲れないDX推進を考える編~を開催しました digital.go.jp
執筆者プロフィール

主に福祉関連を中心に活動するライター
制度の枠組みから心の機微までを丁寧に言語化する傍ら、暮らしを彩るモノ・コトへの感性も鋭い。専門性の高い記事から、軽やかなエッセイ、実用的なレビューまで、多角的な視点で「日常の価値」を編み直す。