介護の「生産性」をダッシュボードで測る時代——数字にならない「そばにいる時間」をどう守るか

介護の「生産性」をダッシュボードで測る時代——数字にならない「そばにいる時間」をどう守るか

あの人の朝は、数字に映っているだろうか

2026年4月、デジタル庁は介護現場の生産性可視化ダッシュボードを更新し、新たな評価指標を追加したと発表しました。介護給付費分科会では「生産性向上」を軸にした議論が続き、介護保険施行規則の改正案も公示されています。

こうした動きを聞いて、私はかつて一緒に働いていた支援員のMさんの顔を思い出しました。Mさんは、朝の着替えに時間がかかる利用者さんのそばで、急かすことなくじっと待っていました。「この人のペースで始まることが、この人の一日を決めるんです」——そう言っていたMさんの言葉が、今も耳に残っています。

「生産性」という言葉が介護の現場に持ち込まれるとき、あのMさんの「待つ時間」はどう扱われるのでしょうか。ダッシュボードの数字に、あの朝の風景は映っているのでしょうか。

ダッシュボードは何を測ろうとしているのか

まず、今回のダッシュボード更新で何が変わったのかを整理しておきましょう。

デジタル庁が公開している「介護現場における生産性向上ダッシュボード」は、全国の介護事業所から集まるデータをもとに、業務効率や人員配置、ICT導入率などを可視化するツールです。2026年4月の更新では、以下のような指標が新たに追加・強化されたとされています。

  • 直接介護時間の割合:職員の勤務時間のうち、利用者に直接関わっている時間がどれだけあるか
  • 間接業務(記録・会議・移動など)の時間比率
  • ICT機器・介護ロボットの導入状況と活用度
  • 職員一人あたりの対応利用者数の推移

これらの指標は、一見すると合理的です。記録業務に追われて利用者と向き合う時間が削られている——そんな現場の声に応えるために、「まず現状を見えるようにしよう」という趣旨は理解できます。

しかし、ここで立ち止まりたいのです。「直接介護時間」とは何を指すのか。食事介助や入浴介助はカウントされるでしょう。では、利用者さんが不安そうな顔をしているとき、隣に座って黙って一緒にテレビを見ている時間は? 夜中にナースコールが鳴らなくても、廊下を歩いて様子を見に行く時間は?

数字にしやすいものだけを測れば、数字にしにくいものは「なかったこと」になりかねません。

「生産性」という言葉が現場に落ちるとき

介護現場で「生産性」という言葉がどう受け止められているか。いくつかの声を紹介します。

ある特別養護老人ホームで10年以上働く介護福祉士の方は、こう話してくれました。

「生産性って言われると、工場みたいだなって思ってしまう。私たちは製品を作っているわけじゃない。目の前の人の暮らしを一緒につくっているんです。でも、そう言うと『精神論だ』って片付けられることもある。それが一番つらい」

一方で、別の事業所の管理者からはこんな声も。

「正直、データで見えるようになるのはありがたい面もある。うちの施設は記録業務に一人あたり1日90分以上かかっていた。それが音声入力ツールの導入で50分に減った。浮いた40分で利用者さんとお茶を飲む時間ができた。そういう使い方ならいいと思う」

つまり、「生産性向上」のツールや指標そのものが問題なのではなく、それが何のために使われるのかが問われているのです。業務の無駄を減らして、人が人と向き合う時間を取り戻すために使うのか。それとも、人件費を削減し、より少ない人数で回すための根拠にするのか。同じダッシュボードでも、見る人の意図によってまったく違う景色が広がります。

数字で見る介護現場のいま——約215万人の暮らしの話

少し数字の話をさせてください。ただし、これは統計ではなく、「何人分の暮らしの話なのか」という視点で読んでいただけたらと思います。

厚生労働省の統計によれば、介護保険サービスの利用者数は約690万人(2024年時点)。そのうち施設サービスを利用している方は約215万人です。この215万人の方々の毎日——朝起きて、顔を洗い、食事をし、誰かと言葉を交わし、夜眠りにつく——その一つひとつに、介護職員の手と心が関わっています。

その介護職員の数は約215万人(2023年度)。しかし、2040年度には約272万人が必要とされており、現状のままでは約57万人が不足するという推計があります。

介護職員の平均月収は、処遇改善加算の効果もあり近年上昇傾向にありますが、2024年時点で約29万円前後。全産業平均(約35万円)との差は依然として約6万円あります。年間にすれば約72万円。この差が、志を持って現場に入った人たちを、数年で別の業界へと向かわせてしまう現実があります。

こうした状況の中で「生産性向上」が語られるとき、現場の支援員が感じるのは期待よりも不安かもしれません。「効率化できたから人を減らしても大丈夫ですよね」——そう言われるのではないか、という不安です。

制度が見落としがちなもの——「関係性の時間」という概念

介護の質を語るとき、近年注目されている概念に「関係性の時間(relational time)」があります。これは、身体介護や生活援助といった「タスク」としての介護とは別に、利用者と支援者が信頼関係を築くために必要な時間のことを指します。

たとえば、認知症の方が同じ話を繰り返すとき、「はいはい」と流すのではなく、毎回初めて聞くように相槌を打つこと。食事のあとに「おいしかったですか」と聞いて、その人の表情を見ること。こうした小さなやりとりの積み重ねが、利用者の安心感や自己肯定感を支えています。

オランダの在宅ケア組織「ビュートゾルフ(Buurtzorg)」は、看護師チームに大きな裁量を与え、利用者との関係性構築を重視するモデルで知られています。結果として、利用者の満足度が向上し、再入院率が低下、トータルでの医療・介護コストが削減されたという報告があります。

この事例が示しているのは、「関係性の時間」は非効率なのではなく、長い目で見れば最も効率的な投資かもしれないということです。

ただし、この仕組みを日本にそのまま持ってくるのは簡単ではありません。オランダと日本では介護保険制度の構造が異なりますし、チームの自律性を支える教育体制や労働文化の違いもあります。日本で実現するなら、まずは小規模多機能型居宅介護のような柔軟な枠組みの中で、「関係性の時間」を評価指標に組み込む実証実験から始めるのが現実的ではないでしょうか。

ダッシュボードに「余白」を——こうなったらいいのに

制度の不備を批判するのは簡単です。でも、ここでは「こうなったらいいのに」を考えてみたいと思います。

1. 「関係性の時間」を可視化する指標の追加

現在のダッシュボードに、たとえば「利用者との非タスク型コミュニケーション時間」や「利用者の主観的満足度」を追加できないでしょうか。数値化が難しいことは承知しています。でも、「測れないから存在しない」としてしまうことの方が、よほど危険です。

2. 現場からのフィードバック回路の設計

ダッシュボードのデータを国や自治体が「上から見る」だけでなく、現場の支援員が「こういう時間が足りていない」と声を上げられる仕組みが必要です。データは対話のための道具であって、管理のための道具にしてはいけません。

3. 「生産性向上」の定義そのものを問い直す

介護における生産性とは、「同じ人数でより多くの利用者を回すこと」ではなく、「一人ひとりの暮らしの質を、持続可能な形で支えること」であるべきです。この定義の転換がなければ、どんなに精緻なダッシュボードを作っても、現場との溝は埋まりません。

数字の向こうに、人がいる

最後に、もう一度Mさんの話に戻ります。

Mさんが待っていたあの朝の時間。ダッシュボード上では「直接介護時間」にカウントされるのか、それとも「待機時間」として処理されるのか。私にはわかりません。

でも、一つだけ確かなことがあります。あの時間があったから、利用者さんは自分のペースで一日を始めることができた。自分の暮らしのリズムを、誰かに奪われずに済んだ。それは、その人の尊厳そのものです。

介護の「生産性」を測ることは、必ずしも悪いことではありません。見えなかった課題を見えるようにし、現場の負担を減らし、支援員が人と向き合う時間を取り戻すために使えるなら、ダッシュボードは強力な味方になり得ます。

けれど、数字はあくまで道具です。その向こうに誰がいるのか、その人の朝がどう変わるのかを想像する力がなければ、どんな精緻な指標も意味を持ちません。

介護の未来を考えるとき、私たちに必要なのは、もっと速く回すことではなく、立ち止まって隣を見る余裕を、制度の中にどう組み込むかという問いなのだと思います。

ダッシュボードに、余白を。数字の隣に、人の顔を。

そんな制度設計が実現する日を、小さな希望とともに待ちたいと思います。

参照元(出典)

  1. 介護現場の生産性向上に関するダッシュボードについて指標の追加とデータを更新しました(digital.go.jp)
  2. 社会保障審議会(介護給付費分科会)|厚生労働省(mhlw.go.jp)
  3. 第256回社会保障審議会介護給付費分科会(Web会議)を開催します(mhlw.go.jp)
  4. 介護保険施行規則の一部を改正する省令案に関する御意見の募集について(public-comment.e-gov.go.jp)

執筆者プロフィール

TOPへ