
ある入所者の一日
決められた時間に食事をとり、日中活動に参加し、夕方には入浴を済ませる。障害者支援施設で暮らす人の一日は、多くの場合、施設のスケジュールによって組み立てられている。「何時に起きるか」「今日は何を食べたいか」——そんな小さな選択が、自分の手の中にない暮らし。私が現場にいた頃、ある利用者さんがぽつりと言った言葉がいまも耳に残っている。「ここは安心だけど、自分の家じゃないんだよね」。
その人の暮らしの「これから」を左右する議論が、いま同時に二つの場所で進んでいる。そして、その議論の行方は、全国の障害者支援施設で暮らすおよそ12万人の日常を変える可能性を持っている。
二つの会議が同時に動く意味
2025年6月30日、「第5回 障害者の地域生活支援も踏まえた障害者支援施設の在り方に係る検討会」が開催される。議題に挙がっているのは、自治体における入所待機者の把握方法、そして地域移行を支える居住支援のあり方だ。
一方、6月26日には「第57回 障害福祉サービス等報酬改定検討チーム」が関係団体ヒアリングを行う。報酬改定は、施設が日々の支援にどれだけの人手と時間をかけられるかを直接決める仕組みだ。報酬単価が1単位変わるだけで、全国の施設運営に数十億円規模の影響が出ることもある。
この二つの会議が同時期に動いていることには、大きな意味がある。「施設をどう変えるか」という理念の議論と、「施設を運営するお金をどう配分するか」という実務の議論が、連動して進んでいるということだ。理念だけでは暮らしは変わらない。お金の裏付けがなければ、どんな美しい計画も絵に描いた餅になる。逆に、報酬の数字だけを動かしても、その先にどんな暮らしを目指すのかが見えなければ、現場は混乱するだけだ。
だからこそ、この二つの議論がどう噛み合っていくのかを、注意深く見ておく必要がある。
「待機者」の数字が映し出す現実
在り方検討会で議題となる「待機者の把握方法」は、一見すると事務的なテーマに思える。しかし、この数字の裏側には、切実な暮らしがある。
現在、障害者支援施設への入所を待っている人の数は、自治体によって把握方法がまちまちだ。ある自治体では「申請ベース」で数えるが、別の自治体では「相談段階」でカウントする。統一された基準がないため、全国でどれだけの人が入所を必要としているのか、正確な全体像が見えていない。
厚生労働省の調査によれば、障害者支援施設の入所者数は約12万人。一方で、国の方針は「地域移行」を推進する方向にある。第7期障害福祉計画の基本指針では、令和8年度末までに令和4年度末時点の施設入所者数の6%以上を地域生活に移行させる目標が掲げられている。数字にすれば約7,200人。7,200人分の「新しい暮らし」を、どこに、どうやってつくるのか。
しかし、ここで見落としてはならないのは、入所を「待っている」人たちの存在だ。地域移行を進める一方で、重度の障害があり、家族の高齢化が進み、在宅での生活がもう限界に近いという人たちがいる。親亡き後の不安を抱える家族がいる。「施設を減らす」という方針と、「施設を必要としている人がいる」という現実。この二つの間で、政策はどうバランスをとるのか。待機者の把握方法を統一するという議論は、実はこの根本的な問いに向き合うための第一歩なのだ。
報酬改定が「支援の質」を左右する構造
報酬改定検討チームの議論に目を移そう。障害福祉サービスの報酬は、介護保険と同様に、国が定めた単価に基づいて事業所に支払われる。この単価が、現場の支援体制をほぼ決定づける。
障害者支援施設の現場では、慢性的な人手不足が続いている。福祉・介護職員の有効求人倍率は全産業平均を大きく上回り、3倍を超える地域も珍しくない。人が集まらなければ、一人ひとりの利用者に向き合う時間は削られる。夜勤の体制が薄くなる。「安全の確保」が精一杯で、「その人らしい暮らし」を支えるところまで手が回らない。
2024年度の報酬改定では、福祉・介護職員の処遇改善に関する加算の一本化が行われた。しかし、処遇改善加算を取得するための事務負担が重く、小規模な事業所ほど加算を十分に活用できていないという声も現場から聞こえてくる。報酬の仕組みが複雑になればなるほど、事務職員を置く余裕のない小さな施設は不利になる。制度が、守りたい人たちを逆に追い詰めてしまう皮肉がここにある。
今回のヒアリングで関係団体がどのような要望を出すのか。特に、地域移行を進めるための「移行支援加算」の拡充や、重度障害者を受け入れる施設への報酬上の評価がどう議論されるかは、今後の施設のあり方を大きく左右するだろう。
「施設か、地域か」という二項対立を超えて

障害者権利条約第19条は、障害のある人が「どこで誰と生活するかを選択する機会を有する」ことを求めている。2022年の国連・障害者権利委員会による対日審査では、日本に対して施設収容の廃止に向けた取り組みを求める勧告が出された。DPI日本会議をはじめとする当事者団体は、この勧告を受けて「脱施設」の流れを加速させるよう求めている。
しかし、現場の風景はもう少し複雑だ。
地域移行を経験した当事者の中には、「地域で暮らせてよかった」と語る人がいる一方で、「地域に出たけれど孤立してしまった」「支援が途切れて施設に戻った」という声もある。地域移行の「成功」は、移行した瞬間ではなく、その後の暮らしが持続できるかどうかで測られるべきだ。
グループホームの整備は進んでいるが、重度の障害がある人を受け入れられるホームはまだ少ない。医療的ケアが必要な人、行動障害のある人、高齢化した入所者——こうした人たちの「地域での暮らし」を支えるには、24時間体制の支援や医療との連携が不可欠であり、それには相応の財源と人材が要る。
「施設は悪、地域は善」という単純な図式では、こぼれ落ちる人が出る。大切なのは、「本人が選べる」ということだ。施設に残りたい人にはその選択が尊重され、地域で暮らしたい人にはそれを可能にする支援がある。その両方が保障されて初めて、「選択の自由」は実質的な意味を持つ。
当事者の声は、どの席に座っているか
在り方検討会の構成員名簿を見ると、学識経験者、自治体関係者、施設運営者、そして当事者団体の代表が含まれている。形式的には当事者参画が確保されているように見える。
しかし、問いたいのは「参画の質」だ。会議資料は事前にアクセシブルな形式で提供されているか。発言の時間は十分に確保されているか。知的障害のある当事者が参加する場合、わかりやすい資料や意思決定支援は用意されているか。「席がある」ことと「声が届く」ことは、同じではない。
形だけの参画ではなく、議論の設計そのものに当事者の視点が組み込まれているかどうか。それが、この検討会の信頼性を左右する。
これからの議論を「自分ごと」にするために
6月末に開かれる二つの会議は、派手なニュースにはならないかもしれない。しかし、そこで決まることは、施設で暮らす12万人、地域移行を待つ人たち、そしてその家族の日常を確実に変えていく。
私たちにできることは、まずこの議論が「ある」ことを知ることだ。検討会の資料や議事録は厚生労働省のウェブサイトで公開される。報酬改定の方向性は、パブリックコメントの機会を通じて意見を届けることもできる。
制度は遠い世界の話ではない。あなたの隣に暮らす誰かの、明日の朝ごはんの時間を決めているかもしれない仕組みだ。
冒頭の利用者さんの言葉を、もう一度思い出す。「ここは安心だけど、自分の家じゃないんだよね」。その人が「自分の家」だと思える場所を見つけられるかどうか。それは施設の中かもしれないし、地域の小さなアパートかもしれない。答えを決めるのは、制度でも会議でもなく、本人だ。その当たり前を守るための議論が、いま静かに進んでいる。
参照元(出典)
- 第5回 障害者の地域生活支援も踏まえた障害者支援施設の在り方に係る検討会(令和8年6月30日開催予定)(wam.go.jp)
- 第57回 障害福祉サービス等報酬改定検討チーム(令和8年6月26日開催予定)(wam.go.jp)
- 障害者施策|政策統括官(共生・共助担当)- 内閣府(www8.cao.go.jp)
- 私たちの活動 | DPI日本会議(dpi-japan.org)
執筆者プロフィール

介護や高齢者問題に関する執筆を多数担当。介護に携わる家族や支援者の視点を大切にしながら、現場で役立つ情報をわかりやすく発信している。